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評者◆齋藤礎英
本は自分で持っている方がいい!――井上ひさしと大江健三郎の文学的姿勢の相違が示唆されている。あり得たかも知れない正反対の晩年を迎える可能性を示す松浦寿輝
No.2902 ・ 2009年01月24日




 井上ひさしは郷里の図書館に二十一年間にわたって二十二万冊もの蔵書を寄贈し続けているという。そのことを新聞で読んだ大江健三郎は彼は「気持が変」(「奇妙な言い方ですし差別的な表現と受けとられると申し訳ない」から仮にこう言っておくというから、実際はもっと直接的な表現だったのだろう)になっているに違いないと声を上げる。というのも、「本は自分で持っている方がいい!」というのが大江健三郎の信条だからだ(「読むことに始まり、読むことに終わる」『すばる』)。わたしのように誇れるような蔵書のない者でも、積み重ねた本が崩れたときなど、いっそ図書館にでも、と思うことがないでもない。そこに行けば自分の寄贈した本があり、しかも分類、整理までしてくれているとなれば、必要な本が必要なときに見つかったためしのないわたしのような者にとっては魅力的なことである。しかしそれは虫のいい話である。実際には、図書館が図書館として機能すればするほど、わたしの蔵書は散逸することになろう。必要なときには誰かが借りている、乱暴に扱われて廃棄処分になる、定期的な蔵書整理でリサイクルに出されるなど、手に汲んだ水がだらだら漏れるが如くわたしの本は少なくなっていく。同じ価値観、個々の本に関する経験を共有しているわけではないから、優先順位もなにもあったものではない。そうであればやはり、図書館に蔵書を寄贈することと本を自分で持っていることとは根本的な姿勢の違いだと言えるだろう。この相違は、或いは文学的な姿勢の相違につながるものだと言えるかもしれない。
 大江健三郎の文章と隣り合わせで掲載されている井上ひさしの講演録「三人の地下活動家」(『すばる』)は中国の魯迅、朝鮮の金山、日本の米原昶という、立場こそ異なれ「つまらない戦争を止めようと必死」で活動した三人を簡潔にスケッチしている。魯迅以外の二人はほとんど知られていないので、この組み合わせはある意味意想外ではあるが、有名無名ということを除けば、図書館の書架のように整序されている。もちろん、この短い講演録だけをとって井上ひさしの文学をどうこう言うつもりはないが、彼の著作の多くがあるテーマに則った集中的な読書から生みだされたものであることは確かだ。つまり、何年にもわたってその蔵書を寄贈されてきた図書館は、その度に新たな書棚を増やしこそすれ、根本的な本の入れかえを迫られることはあるまい。一言でいえば、図書館的な本の管理と相性のよい作家なのだ。一方、大江健三郎はどうだろうか。この文章であげられている幾冊かの本、深瀬基寛の『エリオット』、ノースロップ・フライのブレイク論『恐るべきシンメトリー』、「核兵器の時代に生き死にする」ことの意味を改めて考えさせてくれるフリーマン・ダイソンの『反逆としての科学――本を語り、文化を読む22章』、若い頃に文学の勉強をしようと決心させた渡辺一夫の『フランス ルネサンス断章』、文学的な想像力について多くのことを教えてくれたガストン・バシュラールの『空と夢』と辿っていくことでわかるのは、それらが図書館的な遠近感をもっていないことだ。深瀬基寛の『エリオット』について「私はその詩を読むことで本当に始まった人生を(遠からず)もう一度読むことで終わることになるだろう、と納得したのです。」と述べているように、それぞれの本が大江健三郎にしか持ち得ない固有の意味をもっているからである。裂け始めた家の都合で蔵書の十分の九を古本屋の友人に始末してもらうことを幾度も繰り返してきたという大江健三郎の振るまいが図書館への寄贈と似てるようで違うのは、残す本を選ぶという行為がその時々の実存的な姿勢と直結しているところにある。
 松浦寿輝の「川」(『群像』)もまた図書館的な配列では見いだせないある結びつきを示している。ある老作家がスコットランドを旅している。読み進めていくうちに、我々は彼がある高名な(であった)人物であることに気づく。そして、年老いた彼がギリシャでも南米でもなく「峨々たる岩山とそれを囲んで広がる果てしない荒野」であり「記憶もなければ何もないところ」であるスコットランドに慰めを見いだしていることにあり得たかもしれないもう一つの世界を垣間見る。それは彼が、自分の老年のモデルとして思い描いていた永井荷風のものでも谷崎潤一郎のものでもなく、彼の「異常な行動」に際して、その思想的な意味など何ら問うことなく、昆虫採集をしている者が蝶を追いかけて崖から落ちてしまった、或いは遊蕩者が媚薬の量を間違えて服用したのと同じ事故なのだと断じた、およそ正反対の資質の持ち主であった吉田健一的晩年を迎えるというぞくぞくするような可能性なのである。
(文芸批評)







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