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評者◆蜂飼耳
とうがらし屋
No.2902 ・ 2009年01月24日




 正月、神社への参道に、とうがらし屋が出ていた。露天商。木箱をひっくり返しただけのような台に、包みをいくつも並べて、道行く人に「いかがですか、いかがですか」。呼び掛けていた。大声は上げず、小声で、遠慮がちに呼び掛けていた。あまりにもこぢんまりとした店だった。止まるつもりもなく進んでいた両足が、勝手に止まった。「とうがらし、いかがですか」。「帰りに」と答えた。年輩の男の人と女の人が二人で売っていた。夫婦だろう。女の人は後方に、寒そうに立っていて、主に男の人が客寄せをしていた。「帰りに」と繰り返す。男の人はつまらなそうな顔をして、二度三度、乾いた瞬きをした。双方とも、息は白い。
 約束した通り、と書けば大袈裟でおかしな響きだが、約束した通り、帰り道、ふたたびその店の前で止まった。「とうがらし、いかがですか。一つからでも発送します」と、男の人。行きには気づかなかった写真が、とうがらしの入った包みのそばに、ぺらりと一葉、置いてある。モノクロの写真。写っているのは、おじいさんとおばあさん。とうがらしを作っているか売っているか、どちらかの場面のようだった。先代か先々代の写真だろう。少しばかり怖くなった。気合いを入れて売っているのだと、わかった。「一つからでも発送」というのは、一袋だけの注文にも応えて送る、という意味なのだった。掌ほどの包みを、一つだけでもわざわざ送ってくれるのか。簡単に、心動かされる。熱心さに。丁寧さに。だが、それ以前に、一袋だけ注文する人は、いったいどれくらいいるものだろうか。訊くわけにもいかない。
 そのとうがらしは、七味とうがらしだった。「中辛を」というと、男の人は否定した。「中辛はぜんぜん、辛くないですから、その上のがいいですよ」。すると、男の人の背後から、女の人もにゅっと首だけのぞかせて、「そうです、中辛は辛くないんです」と助言をくれる。店頭は二人の否定で華やかに活気づく。そこまでいうのならどうして中辛も作って売っているのだろう、と思うような、二人揃っての否定。先代からの教えを守った調合なのかもしれない。受け継いだ教えを破れずに従った品揃えなのかもしれない。辛いはずの包みを二つ、求めた。「この写真は昔の写真ですか」と、訊いてみる。質問が、意味をなしていないことに気づく。写真は、どんな写真でも昔のものに決まっている。いつでも過去だけが写っているのだ。「ええ、昔のです」。男の人は頓着なく、さらりと答えた。「前の代の人ですか」。重ねて訊いてみる。男の人は、聞いていない。別の客のほうへ、一つしかない顔を向けていた。「一つからでも発送しますから」と、女の人がいう。男の人と同じ言葉。それは台詞のようなものだった。とうがらしの袋を受け取って、露店を離れる。店の台の上に裸電球の光がこぼれていた。とうがらしだけ、売る店。とうがらしだけしか置いていない台の上に、裸電球の作る影がいくつか、がらんと転がっていた。
 とうがらしの包装は見たことのないものだった。処方箋を出して受け取る薬が入っているのと似た紙の袋に、粉は、直に入れられているのだった。ビニールなどはなくて。そんな袋だから、原材料も記されていない。江戸時代からつづくとうがらし屋らしかった。開けると、赤、黒、黄、緑、白。色とりどりの粉がぱっと散る。雪が降るかもしれない。舐めれば辛い。天気予報まではまだ時間がある。日本海側はもう幾度も雪に見舞われている。実際には知らない。画面で見ただけ。舐めると、複雑な味。七色の調合は秘伝の方法によるのだろう。山茶花は、赤い。種明かしのように、いくらでも花びらを落とす。とうがらしを、舐めると、山茶花の赤い色に疲れる。「日本海側は雪の正月」。とどいた葉書に、そう書いてある。とうがらしの袋は、かさかさ音を立てる。羽のある生きものに似て。







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