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評者◆野添憲治
西松組安野出張所――広島県山県郡安芸太田町
No.2901 ・ 2009年01月17日




 日本発送電(株)は一九四三年に、最大出力七千キロワットの安野発電所(広島県山県郡安野村・現安芸太田町)の設置を計画した。広島県が安野村に意見聴取をおこなったところ、木材流送、飲用水、灌漑用水などの被害対策を求めたので、会社で補償を行うという協定が成立し、翌一九四四年から工事に着手した。「戦時下電力生産力拡充計画に基く緊要なる計画」の前に、安野村は承知するよりなかった。
 工事を請け負った西松組(現西松建設)は安野出張所を設けて作業員を募集したが、地元で労働力を求めるのは難しくなっていた。はじめに朝鮮人を使用したというが、どこから連れて来たのか、どれくらいの人数なのかはまったくわかっていない。旧安野村への資料に「収容所は中国人と朝鮮人は別にした」とあるだけである。西松組は朝鮮人の次に中国人連行者を使って労働力不足の穴埋めをすることになり、「外務省報告書」によると三〇〇人を契約した。しかし、一九四四年七月二五日に青島から出航した錦隆丸には、三六〇人の中国人が乗った。「三六〇人のうち三〇〇人は山東省、済南に日本軍が設置していた『新華院』からで、戦場で日本の捕虜になった人や一般人などであった。六〇人は町や村で捕えられたり、騙されて連れ込まれた中国人で、青島での追加分として加えられた」(『朝鮮人強制連行調査の記録・中国編』)のだという。契約した人数よりも乗船人員が多いのは、きわめて珍らしい。
 船中で三人が死亡したので、三五七人は八月五日に安野発電所の工事現場に着いた。年齢は一六歳から五三歳まで、職業は軍人二五四人、労働者六三人、一般人二九人、農民一四人であった。中国人連行者が着く少し前に、憲兵が安野村に来ると土地を手に入れ、そこに木造のバラックを建てた。中国人たちの収容所である。窓はついているが釘で打ってあり、床は板張りでむしろ敷きなので、夏は暑く冬は寒かった。明かりは小さな裸電球だけで、出入口は一ヵ所だけで、すぐ横に監視室があった。一日中監視員や警官が詰めて、出入りする中国人を監視していた。
 中国人は土居の取水口から発電所までの約八キロの導水トンネルの掘削作業をしたので、その間に建てた収容所に入れられた。発電所ができる坪野に一中隊の一〇〇人、約四キロ北の津浪に三中隊の一〇〇人、さらに約二キロ北の香草に第二中隊の一〇〇人、取水口の土居に四中隊の五七人である。大隊長や中隊長は中国人がやった。それは、作業や食事などの不満からくる反感を日本人に向けさせないためで、中国人によって中国人を支配させた。これが翌年に悲劇を起すことになるが、日本人監督の暴行がなかった訳ではない。
 中国人たちの仕事は、ダイナマイトで崩した岩石をトロッコに積み、トンネルの外に運び出すことだった。資材運搬などの雑役をすることもあったが、一日の労働時間は一二時間以上と長いので、疲れて働く動作が鈍かったりすると、日本人監督から殴る、蹴るの暴行を受けたという。
 重労働で腹が減るのに、食事は少量だった。油粕の粉やドングリの粉などが多く、コメの飯は少しだった。副食もわずかで、腐った臭いのする魚が多かった。「食事の分量があまりにも少ないので、食べるとかえって強烈な空腹感にさいなまれた」(呂学文)という。仕事の行き帰りに道端の草を採って食べたが、見つかると殴られた。病気や怪我で仕事を休むと、食事の量が減らされた。
 作業衣なども配られず、冬になっても中国から着てきた夏服のままだった。寒さをしのぐためにセメント袋を体に巻いたが、履物も手に入らなかった。夏は裸足か草履でも過ごせたが、冬は二〇~三〇センチも雪が積もるうえに寒さが厳しく、多くの人が凍傷に泣いた。
 過酷な労働と空腹に耐えきれず、七人の中国人が脱走した。村の警防団を動員して探索し、翌日に全員が捕えられた。西松組安野出張所が警防団に、「寸刻を待たず全員逮捕出来、彼等をして唖然たらしめ脱走不能を徹底的に認識」させたと謝意を述べた資料が残っている。だが、捕えられた七人は広場に集められた中国人の前で、「警察の命令で大隊長が一人四十回ずつこん棒でなぐったのです。みんな気絶しました」(『中国人被爆者 癒えない痛苦』)という。
 安野出張所の現場では負傷者一一二人、罹病者二六九人も出ているが、診察や治療を受けさせることもなく放置していた。一九四五年七月一三日に食事の不公平な分配と日ごろの行為が反感を買い、大隊長と書記が中国人に殺された。この容疑者として一六人が広島刑務所に収監されたが、八月六日の原爆にあい、五人が死亡した。残りは被爆したまま帰国している。
 また、病気や怪我で働けなくなった一三人は、治療を受けずに帰国している。失明して帰った人もいた。なお、日本の敗戦で帰国するまで、船中死者も入れて二九人が死亡している。病死と事故死が多い。この犠牲者たちを偲べるものは、安芸太田町には一つもない。







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