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評者◆増田幸弘
サービスの「共産化」
No.2900 ・ 2009年01月01日
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プラハに住みながらも、各新聞社のサイトを見れば、日本のニュースはおおよそつかむことができる。かつては情報を収集するため、毎朝夕配達される全国紙とは別に、地方紙や県紙を郵送してもらっていたことが嘘のようである。
日本とのやりとりはほとんどが電子メールで、一日何十本とやりとりする。電話をするのはIP電話を使い、ゲラのやりとりはPDFで完結する。チェコの仕事を最初にした1989年、やりとりはテレックスだった。大手町にあったKDDのテレックスセンターにわざわざでむき、送受信をする。1992年のときはそれがファックスになった。国際電話の通話料が気になったのが嘘のようである。 日本のラジオもインターネットを通じて、おどろくほどクリアに受信できる。むかし、BCL(Broadcasting Listening)というものがはやったとき、雑音の向こうで海外放送を受信して喜んでいたのが嘘のようである。 気になる番組やニュース、ライブなどはYou Tubeやニコニコ動画でチェックできることが多い。著作権侵害の大きな問題が潜んではいるにしても、むかしは新宿あたりのショップが売っていた「海賊版」といわれる非公式に販売されるレコードやビデオを、質のわりには決して安くはないお金を出して買ったのが嘘のようである。 最新の音楽はMP3のデータとして、気軽に出回っている。中高生の子どもたちを見ていると、携帯電話のBluetooth経由で気楽に「交換」しあっている。LPに針を落とし、カセットテープに録音していた時代の、ある種の儀式めいた感覚はすでに遠い昔のものとなった。 百科事典や語学の辞書は、膨大な仕事を要求する知の結晶だった。それもウィキペディアが変えた。少し工夫すれば、膨大な情報が携帯電話にさえ保存できてしまう。その内容については多少なりの誤りがあり、うかつには信じられないが、酒飲みの席で思い出せないことを確認するには格好のソースだ。もはや百科事典を新たに編集しようなどという出版社は皆無だろう。 これらはどれもインターネットによってもたらされたものばかりである。ネットによって、ぼくのプラハでの生活が成り立っているのもたしかだ。事実、サーバーがダウンするなどして、ネットに接続できないと、まるで目が見えなくなったような不安に襲われる。日本とのやりとりは遮断され、仕事も滞ってしまう。 こうしたインターネットが実現しているものは、おどろくことに、どれもみな基本的に無料で利用できるものばかりだ。それをあたりまえの感覚で享受している。お金がかかるのは、パソコンと、プロバイダーへの支払いだけである。 と同時に、ネットの仕事をすると、原稿料の安さにいつも驚かされる。取材をしようが、写真を撮影しようが、どれだけ長い文章を書こうが、一仕事5000円が基準になっているようだ。ページ単価なんて、ネットの世界にはそもそも存在しない。無料で読むことができるものだから、安くても仕方はないのだろう。 インセンティブというよくわからない言葉によって、実質無料で引き受けざるを得ないこともある。「インセンティブ」とは報奨金のことだが、アクセス数が多い人だけに支払われる仕組みである。仕事のありようとしてちょっとずるいと思うことが多々あるのだが、それでもやりたいという人が少なくはないようだ。 有名無名を問わず、多くの人たちがブログをつくっているのも今時の現象だろう。単なる愚痴やつぶやきで終わっているものもあれば、専門誌顔負けの充実した内容を誇るものもある。これまで愛用してきたThinkPadの調子が悪くなってきたので新調しようとしたとき、参考になったのはマニアックな人たちによるブログだった。 そのなかで、新製品を発表する場にこうしたブロガーたちを招く「ブロガーミーティング」というものが開かれていることも知った。開発部長によるスピーチなど、本来の記者会見顔負けの充実した内容を誇っている。 ブロガーたちは自身の正確な知識をもとに、すぐさまブログの記事を書く。多くは新聞に掲載されるパソコンの記事よりも的を射たものだ。ある種の逆転現象がそこには起きているといってもいいだろう。 こうしてたしかにネットは情報や表現に「民主化」をもたらした。無償であることを前提に、あらゆる垣根はそこにはない。国籍、性別、年齢、社会的な地位や知名度は、さほど重要なものではなくなっている。同人誌の主宰者の顔色をうかがわなくとも、詩や小説を自由に発表できるのだ。 でも、旧共産国に暮らしながら、こうした事態を傍観していると、これは「民主化」なのではなく、サービスの「共産化」なのではないか、とふと思ったりもする。 恐ろしいことに、多くのことを無料で享受できることによって生み出されたこの「共産化」社会は、だれにも利益をもたらさない。すべてのものが疲弊しつづけている。現在世界的に陥りつつある不況の一因がそこにあるのはたしかなような気がする。だからこそ、だれも解決策を見出せない。 世界はいまいったいどこに向かっているのだろう。ベルリンの壁が崩壊して20年になる2009年を前にした混迷のなか、そんなふうに考えざるをえないのだ。 |
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