書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆秋竜山
祝! 連載千回!!、の巻
No.2900 ・ 2009年01月01日




 川村則行『本当に強い人、強そうで弱い人』(ゴマブックス、本体六一九円)で、〈「性アホ説」が気持ちを楽にする〉という項目がある。
 〈唐突に聞こえるかもしれないが、素直になるということは、自分が「アホ」であることを認めることだと私は思っている。自分がアホというより、人間という存在自体がアホなのだと言ったほうが正確だろう。人間というものをつぶさに現実検討していくと、もはやアホ以外の何者でもないと私は考えている。どんなに立派な人も、どんな成功した人も、どんな美しい人も、人間である限り、同じアホであることに変わりないと思うのだ。(略)私はこの考えを「性アホ説」と名付けている。人は、生まれながらに善人であるという性善説、生まれながらに悪人であるという性悪説、これらに並ぶものとして、人間は、もともと生まれながらにしてアホであるという「性アホ説」を唱えているのである。〉(本書より)
 アホという言葉が何回も出てくる。つまり、このアホというのは関東でいうバカということなんだろうか。〈私は大阪出身で、小さいころからアホという言葉に自然となじんできた。〉と著者は述べている。関西では「アホ」で、関東では「バカ」か。〈「あんたかてアホや、わてかてアホや。それがどないしたっちゃうねん」〉という。「おまえだってバカだ、おれだってバカだ。それがどーしたというんだ」となるのだろうか。私は小さいころからバカという言葉になじんできた、ともいえる。と、いうことはアホという言葉にはなじんでこなかったというのである。たしか、アホという言葉を耳にしたのは子供の頃ラジオでのマンザイからだろう。ラジオの時代であった。ラジオから流れる「アホやなァ」などという言葉によって知ったということは、アホ=マンザイであったというべきだろう。大人になって関西人によって生の言葉として「アホ」を耳にした時は、マンザイを聞いているような気分がしてきたものであった。「バカは死ななきゃ直らねえ、死ねば仏のじゃまになる」とか「大バカ三太郎」とか「バカにつける薬はねぇ」とか、バカという言葉の響きにある種の実感がともなっている。そして、アホとバカを同意語とするには、ちょっぴりためらいもあったりもするものだ。
 〈「あんたもアホやなぁ」と相手のアホさ加減を笑いながら、同時に自分も同じアホであることを認めて、一緒に笑い飛ばすようなところがあるのだ。〉(本書より)
 アホという言葉の内には愛情が秘められているということだろうか。そういえば、バカという言葉にも同じことがいえそうだ。いつだったか私の田舎へ帰った時、お年寄り連中と話している中で、「そういえば、昔はよく〈バカ〉という言葉を年寄りからさかんにいわれたものだ」と、私がいうと、ある年寄りが「そーじゃあねぇ」といった。「バカじゃあなくて『バカッチョ』だ。いや『このバカッチョ』といったものだ」。つまり、「このバカッチョ」という言葉の内に愛情が秘めていたというのであった。よく考えてみれば、関西の〈アホんだら〉と〈このバカッチョ〉と同じことなのか。〈アホんだら〉は全国的に有名だが〈このバカッチョ〉は誰も知らないようだ。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約