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評者◆齋藤礎英
庭々の経験――マリーナ・ヴィシネヴェツカヤが描きだす、むせかえるような豊饒な庭――「庭の経験」(『新潮』)
No.2897 ・ 2008年12月13日




 わたしは庭のあるような家に住んだことがない。従って庭づくりとは無縁の人間である。しかし、もし庭をもつことができたなら、枯山水をその頂点とするような、静的で抽象的な日本的庭よりも、西欧風の庭をつくりたいものだ。「作庭記」によると、林達夫は古いゴシック時代の庭を手本にした。つげやホーリーを主とし、ローズマリー、ラヴェンダー、チムス草、百合、オールド・ローズなどをそれに配する庭だったらしい。そして彼は、「庭仕事によって歴史と美学と自然科学と技術との勉強をしているのである」と自負していた。実際、枯山水のような虫一匹集まらないような庭では、眺めていてもせいぜいひねこびた美意識に通じるくらいが関の山であろう。
 マリーナ・ヴィシネヴェツカヤの「庭の経験」(『新潮』)が描きだすのは、むせかえるような豊饒な庭である。ある夏の三ヶ月、語り手は少女の子守兼家庭教師として郊外の別荘に住むことになる。そこで彼女ははじめてケシの花が咲くところを見る。生まれたばかりのケシの花は「生後一日しか経っていない牛の赤ちゃんのように、すっくと立って体を軽く揺らしている。」土砂降りの雨は庭全体を震わせるようだ。カニそっくりの込み入った縞模様をしたクモがいる。すっかり慣れて、手から餌をついばむようになったシジュウカラの甲高い鳴き声は、「クリスタルガラスのような透明感」を帯び、鳥は「機械のようなといったらいいのか、天使のようなといったらいいのかわからないが、この世ならぬ存在」に変じる。庭は刻一刻とその表情を変える。「庭は刹那的でとても生命力がある。雪のように白いジャスミンでそこいらじゅうが覆われたかと思うと、厳かなボルドーワイン色をしたヘビノボラズが光を放ち、そうかと思うと、キンレンカやキイチゴが垣のそばで急に炎のように燃えあがり、摘んでも摘んでも日ごとに繁茂していく、といった具合に、庭は一瞬ごとに人を驚かせる。」つまり、庭は世界に呼応し、世界の脈動に合わせて脈打つのである。「庭の経験」はごく短い掌編だが、庭がもつ豊かな可能性を余すところなく伝えている。
 同じく掌編といってもいいくらいの短い文章を集めた車谷長吉の「妖談2」(『群像』)の一編「信子はん」は規模こそずっと狭くなるが、やはり生命力の暴走をユーモラスなタッチで描いている。デパートの淡水魚売り場で鯰が売られているのを見た語り手は、川のそばに住み、鮒、目高、鯰、鈍甲などを飼っていた子供の頃が懐かしくなって二匹の鯰を買う。一匹は正面から見た顔が自分の母親に似ているのでその名前をとって信子はんと名づけ、もう一匹は知人の名前をもらって陽美はんと名づけた。二匹は水槽のなかで仲良く暮らしているようだった。ところが、四、五日の旅行から帰ってくると、陽美はんがいなくなっている。どうやら信子はんが陽美はんを食べてしまったようなのだ。信子はんは、しかし何喰わぬ顔をして「私」の姿を認めると「嬉しそうな顔をして寄って来る」。餌の赤虫をあげると、いくらでもむさぼり食う。三年も経つと、三十センチの水槽では収まりきれないほどの大きさになってしまった。百科事典を調べてみると、鯰は寿命四十年、大きさは一メートルにもなるという。とても飼いきれないと思った「私」は、自分が卒業した田舎の高校の庭にある灌漑用の溜め池に信子はんを放してやる。母親の名前をつけた信子はんが陽美はんを食べ、亀や鼈や鯰のいる田舎の溜め池に放されて、信子はんの寿命を考えると恐らくは「私」よりも長生きをするだろうと思うことで終わるこの掌編は生命の変転を早まわしで見せてくれるようでもある。
 生の暴走といえば、墨谷渉の「潰玉」(『文學界』)が相当なものである。ある男が女性に股間を蹴り上げられることに取り憑かれる話なのだ。そうはいっても誰のどんな蹴りでもいいものではないらしい。同じ蹴りでも内臓に直接響く蹴りと、表面的な痛みにとどまる蹴りがある。ボクシングがそうであるように、「打ち上げられた瞬間に急所からダイレクトには鉛の玉が体内を通過して脳下垂体へ直撃するような感覚」を与えるような蹴りにはそれなりのセンスが必要であるらしい。そこで、そうした蹴りの持ち主である亜佐美と男との奇妙な共犯関係がつくりあげられていき、睾丸をつぶす感触を自分の手で確かめてみたい亜佐美とつぶされてみたい男の欲望とが合致する。正直わたしにはなにが嬉しいのかさっぱりわからない欲望だが、急所を直撃されたときの「肝臓や腎臓、胃などの臓器を同時に打撃されたかのような、根底から生命力を剥がされたような脱力感」には共感できて、それが生の経験になりうるような生の奇妙さに思いを致すことになる。
(文芸批評)







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