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評者◆稲賀繁美
関根伸夫《位相-大地》40年――敗戦後日本を代表する前衛藝術の記念碑を、現時点から再検討する・下
No.2896 ・ 2008年11月29日
(承前)資源搾取の結果生じた地下の空洞と、それを代価として地上に佇立する繁栄の塔との対比。――とはいえこの関根による達成を、高度資本主義への批判とみなし、俗流マルクス主義的な上部構造・下部構造の対比へと還元するのは、解釈として著しく不適当だろう。まずここには、たんに原材料(地下の空洞)と製品(地上の円柱)との対比があるだけではない。そこにはまた、西欧前衛が原型を提示し、非西欧による模倣が世界へと波及するという、上下転倒した逆流現象も、それとなく暗示されている。
だがさらに、《位相-大地》にあっては、もはや地下の空洞が「原材料」掘削跡の廃抗でもなければ、地上の突出が「作品」に相当するわけでもない。こうした主従関係の役割分担そのものが、無効にされている。地下と地上との対比-ここには、自然と文化、搾取の残骸と収奪の果実等々の、多様な解釈を許す位相構造が〈分節を可能ならしめる源としての不在の場〉(khora)として出現する。大地を軸とした点対称の反転という、非物資的な位相変換の関係性そのものが、あくまで圧倒的な質量の土砂に訴えかけて、まさしく物質的流動の軌跡として現象する。ここで原材料に人為を加えることで成立する「藝術作品」という、啓蒙以来の文明を支配してきた近代の「藝術」理念そのものが止揚される。 1970年の大阪万国博覧会直前の時点で、当時modernismの地球的構造をそのまま寓喩した、関根伸夫の《位相-大地》。それは、敗戦後23年を経過した当時の日本の美術界が、世界の潮流と同時代性contemporaneityを獲得した段階の象徴ともなっていた。さらにそこには、それまでの60年代的「反藝術」anti‐artが、この先、70年代に「非藝術」non‐artへと脱皮する、劇的なパラダイム変換の位相までもが、トポロジカルな写像として提示されていた。近代藝術という制度に対する「反」逆は、「作品」を越えたこの装置を媒介にして、藝術という制度そのものを「非」実体化する方向へと転換を遂げた。 それまで、いわば極東の島国で「井の中の蛙」であった日本の前衛。その視野狭窄の元凶だった井戸側の内壁が、地上に佇立する記念柱の外壁に変貌し、内は外inside‐out・上下逆転 upside‐down の互換性を発揮する。そこで人は、歴史上希有な実態変化 transsubstantiationの現場に立ち会っていたことになる。ここに「同時代以降美術」Post‐Contemporary Artの起源を見定めても、決して荒唐無稽とはいえまい。 *西宮市大谷記念美術館『「位相-大地」の考古学』(美術の考古学展図録I)(1996)参照。(了) |
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