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評者◆稲賀繁美
関根伸夫《位相-大地》40年――敗戦後日本を代表する前衛藝術の記念碑を、現時点から再検討する・上
No.2895 ・ 2008年11月22日




 関根伸夫の歴史的といってよい「作品」〈位相-大地〉(1968)が、この国の美術界に衝撃をもたらしてから、今年で40周年を迎える。作品が大地に埋め戻されて消滅して以来、現代美術史は、前衛の終焉からpost‐modernを経由し、今やPMすなわち脱・現代をも脱し、「同時代美術」という観念そのものが時代遅れとなって、「同時代以降美術」Post‐Contemporary Artを論じようとする趨勢を迎えている。その現時点に立って、あらためて〈位相-大地〉を振り返ると、何が見えてくるだろうか。
 この「作品」は須磨離宮公園の地面を、円筒形に直径2.4m、深さ2.7m掘り下げ、その土砂を隣の土地に、同型の円筒形の立体に積み上げたもの。とりあえずは、そう記述できる。2003年には鷲見和紀郎らが再制作を試みた。だが公開に際して円筒柱成型用の外枠合板を束ねる綱を解く最終段階で、土砂が覆いを薙ぎ倒して崩落し、無粋な残骸を人目に晒した。理屈は単純な造形だが、実際に盛り土するには、いかに容易ならぬ物理的制約が立ちはだかっていたかが、追認された。 原作制作当時の批評では、ネガとポジといった視覚のトリックを見る見解が支配的だったが、そこに存在の虚実を見る批評家もあった。だが空虚と実体とを、地平線を境界として、いわば点対称に置換する位相的対比を主題とした作家の意図は、この段階ではまだ十分には把握されていなかった。関根はそう回顧する。 地球に穴を掘って、その中身を全部汲みだしてしまえば、やがて理論的には地球は空になり、隣に別の地球が出現する。そんな思考実験が本来の意図だったとも、作家自身は述べる。
 これは、聖アウグスティヌスの語る、柄杓で海の水をすべて汲み出そうとしている少年の逸話を想起させる。それは有限な被造物に造物主たる神の無限を悟らせる譬え話だった。
 関根のこの証言が妥当するならば、そこには赤瀬川原平の《宇宙の缶詰》(1964)に類比した発想が窺える。赤瀬川は蟹缶の中身を捨てて、ラヴェルを内側に貼り替え、ハンダ付けすることで、地球全体を缶詰の「内」に閉じこめた――惜しくも蟹缶一個分の地球大気は逃がしたが。この着想によって、赤瀬川は同時代のクリストの梱包藝術を、理念として凌駕してみせた。
 ここには、極東にあって、西欧藝術に追いつこうと躍起な対抗意識と、日本列島文化特有の、文化の掃き溜めの劣等感が垣間見られる。だが、それを60年代末当時の世界史的状況に重ね合わすと、どうだろう。関根たちの肉体労働によって掘削された地下部分を、原材料輸出国で採掘された鉱産資源、地上に棟上げされた円柱の構造物を、先進国のメトロポリスに佇立する摩天楼に類比してみよう。さらにこの世界経済の構図を、藝術の世界に重ねてみれば、どうだろう。
 そこには、非西欧世界からの文化資源搾取によって成立する、西欧前衛藝術の金字塔(例えばピカソの《アヴィニョンの女たち》(1907)の始源主義)という、世界史的なモダニズムの基本構造までもが、そうとは意識されぬまま、位相幾何学の意匠をまとって密かに投影され、作品として提示されていたことになる。
(以下次号)







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