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評者◆秋竜山
写真家の写真、の巻
No.2894 ・ 2008年11月15日




 岡井耀毅『肉声の昭和写真家――12人の巨匠が語る作品と時代』(平凡社新書、本体八〇〇円)では〈昭和の写真世界を創った魅力的な人たち。〉(オビ)ということで、三木淳、前田真三、薗部澄、秋山庄太郎、稲村隆正、中村正也、入江泰吉、藤本四八、緑川洋一、岩宮武二、植田正治、林忠彦、といった、巨匠たちがズラリ。戦後という時代を写真によってパチリパチリと映像化した指一本の芸術家たちともいえるだろう。指一本を動かすことによって、写真はうまれる。だから写真家はいいよなァ!! なんて、思っている内は、写真のことなど、なーんにも知らない人である。写真ほどプロとアマとの差が一目でわかるものはない。同じ指でシャッターを切ったとしてもである。一枚の写真を撮るのにプロには才能を必要とし、アマの場合は才能なんてどうでもよいのであって、只パチリとやればよいのである。あるプロがいった。「いや、アマのように無心にパチリとやることがプロとしてむずかしいんだよ」。本書を見ながら面白いと思ったのは、各写真家の写真である。つまり、写真を撮る人が写真に撮られているということである。写真家のこっち側にもう一人の写真家が写真機をかまえて、パチリとやる。それが、なにが面白いのだ!!と、いわれれば、「まあ、そーかもしれない」と答えるしかないか。〈本書に使用した各写真家のボートレートおよびスナップ写真は、撮影者もしくは提供者のクレジットのあるもの以外はすべて中田和昭撮影〉と、記載されている。〈東京・代々木公園で撮影中の三木淳(一九八二)〉という写真がある。なんと写真家・三木淳は公園内での何かのイベントのようである、大勢の観衆の一番前で路上に寝ころんで写真機を上に向けてシャッターを切っているのである。このような姿をみたら誰もが驚くにきまっている。たんなる観衆であったら、こんな姿で写真を撮るなんてするわけがない。恥かしい。着ている物がよごれてしまう。もし、写真機でも手にしていなかったら、行きだおれと思われて救急車に乗せられてしまうだろう。このような写真があるということは、こっち側でこの写真を撮った人がいたということだ。写真家が写真になったということである。〈銀座でレンズのテスト撮影をする薗部澄(提供=フォトス・ソノベ一九五六〉とある。この写真もビックリ物だ。薗部写真家が銀座の歩道の街路樹に登って写真機を向けて何かを撮っているという姿である。写真家でなくて、誰がやるものか、こんなことを。この写真もこっち側にいて写真家を写真にしてしまった。〈山形県白布温泉周辺でのモデルを使った撮影(一九八二)〉では、秋山庄太郎が林の中で木にもたれかかるヌード・モデルを撮っている。
 〈晩年、なにかというと、「アマチュア恐るべし」と言いながら、花三昧に明け暮れた秋山庄太郎は、プロフェッショナルとアマチュアリズムの境界を自在に遊泳した稀有の人であった。〉(本書より)
 写真一枚一枚に何かが写っている。今年一年間に何枚ぐらいの写真が撮られているのだろうか。その数の写真が写真で語る二〇〇八年ということになるだろう。それはそーと、私は何枚ぐらい……。







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