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評者◆蜂飼耳
鶏がなくなる
No.2894 ・ 2008年11月15日




 枯れて乾いて枝を離れた木の葉が、音もなく散り落ちる夕暮れだった。小学校に勤める知人から電話がきた。その人は、先生ではなく用務員さんをしている。だから、先生たちのいない場面で子どもたちが見せる顔も、知っている。
 校庭のこと、それから校庭の片隅にある飼育小屋のことに話題が及ぶと、ぽつんと呟いた。「このあいだ鶏がなくなって」と。なくなって? そのひとことに意識は繋ぎとめられて、けれども耳底へ注がれる話は先へ先へと進んでいく。「鶏」と「なくなる」が組み合わせられたことに、どきりとした。その人は、声に出す瞬間に、ちらりと考え判断したのだろう。「死ぬ」よりも丁寧な言い方はなんだろう、と。そうして声に載せられこぼれ出た「なくなる」らしかった。
 変だな、とも感じたが、いいな、とも感じた。変だなといいなは、ブランコのように、手前、奥、手前、奥、と揺れて交互に訪れる。小学校の飼育小屋で生涯を終えた一羽の鶏が、言葉によって大事にされた。そんな感じが、すっと湧き上がる。冗談と受けとめて笑っていいことかもしれないが、笑えなかった。言葉遣いとしてはおかしくても、もうこの世にいない一羽の鶏が、その瞬間、言葉を通して少しばかり大切にされたのだった。
 その人と、共有している話題はあまりない。話の接ぎ穂を探すうちに、自分が小学生だったとき子どものあいだにひろがったデマに辿り着く。うちの学校にパンダが来る。どこでどう生まれたデマなのかわからないが、あるとき、そんな噂がひろまった。飼育小屋にパンダが来る。よく考えれば、ありえないこととわかるようなものなのに、期待を棄て切らない半信半疑の空気が流れていた。もちろん、パンダは来なかった。デマもいつしか消えていた。電話の相手にその話をすると、意外にも笑うことなく、ああそう、と聞いてくれる。へえ、そう。感心している。内容が通じたのかどうかと、相手には見えない自分の場所で、首を傾げる。
 「大きいもののときは、子どもが見ていないところで埋めるんだよ」
 大きいものが「なくなった」場合のことだと、わかる。兎や鶏。新聞紙でくるんで埋めるという。教室で飼っていた魚や虫なんかの場合は、子どもが自分たちで好きな場所に埋めるんだけど、そうすると、あっちにもこっちにもお墓ができちゃって、という。
 「このあいだ、そういうお墓の場所は一ヵ所に決めましょうって提案したんだけど、通らなかった」
 石やら板やらで墓標を作る。花を供えて拝む。そうして、ほどなく、子どもたちはそんな墓のことなど忘れてしまう。電話から漏れる声は、目の前に透明な墓地を描いて、消えた。「なくなる」ものを引き留めることはできない。それぞれの時間を使い果たしては消えていくことの不可思議を思うと、心はしんとなる。
 名もないチキンとして消費される鶏もあれば、「なくなる」という言葉で大事にされる鶏もいるのだ。どうやら、それがこの世の眺めであるらしい。そのときどきの、自分の立場ばかりを主張し合って、やがて時間の垣根を越えると、あとは永久に黙るほかない。世の中の複雑な仕組みを理解し終える前に、その外側へ、押し出されてしまうのだろう。
 言葉は確かに選ばれたのだ。「死んで」ではなく「なくなって」と。耳底へ落ちてきたのは音声だったが、そこにある動きは、言葉というよりその人の心の動きだった。言葉遣いとしては奇妙でも、配慮のようなもの、やさしさに似るものだった。だれかがその人に向かって、その表現は変ですよ、といいませんように。
 電話を切ると、風に飛ばされて宙をよろめく落ち葉が、見えた。あの一枚も、土に還る。そうして、後からやって来るものをまた受け入れる。土のなかで朽ちていく鶏。大地は母だという古来からのイメージが、眉間のあたりで花開く。







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