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評者◆齋藤礎英
二枚のポルトレ――西村賢太は、くだらなさを描くには正確なタッチが必要なことを教えてくれる。鈴木志郎康の詩は、口のなかを転がるような稚気あふれるオノマトペが若々しい
No.2893 ・ 2008年11月08日




 フランスの作曲家、フランシス・プーランクはその詩の多くに曲をつけた女性詩人ルイーズ・ド・ヴィルモランについてこう書いたという。(吉田秀和「永遠の故郷」『すばる』)「ルイーズ・ド・ヴィルモランほど私を感動させた人は少い。だって、彼女は美人だし、片方の足が短いのだから。彼女は天から授かった純粋なフランス語で書く。彼女の名は花と草木を呼び覚ます。彼女は兄弟たちを愛人のように愛し、恋人を姉妹の如く愛するのだから。彼女の美しい顔はその名前に劣らず十七世紀を思い起こさせるのだから」。吉田秀和は、「私も一人の女性に対して、こんな美しくも楽しい賛辞が書けたら、どんなに良いだろう!と思わずにいられない。」と書いているが、わたしも同感である。ついでに言えば、温雅でユーモアのあるこうした文章こそわたしが読みたいものでもある。

 「対話 世界の奏でる音楽を聴く」(『新潮』)で、保坂和志は作品の設計図であるフレームにばかり目をやり、一筆一筆のタッチに無関心な「評論」の悪弊をあげているが、わたしにはそうした傾向は小説も評論もさして径庭はないように思える。一見、文芸誌は日常の細々したことを書きつづった、つまりはタッチだけでできている小説であふれかえっているようだ。しかし、その多くは「日常の細々したことを描く」というフレームにのっとって書かれているに過ぎない。知識や情報に還元されることのない作者の身体性や人柄のあらわれをスタイルだとするなら、小説、評論を問わず、文章からスタイルは失われている。それゆえ、西村賢太「廃疾かかえて」(『群像』)のような小説に出会うとほっとする。ヒモのような生活をしている男が同棲相手の女友達との関係を邪推する。二人がした昼食のレシートを見て、九百五十円のランチ・セットが自分の彼女、秋恵のつましい注文であり、千五百円のペスカトーレと六百円のグアバジュースが女友達の注文で、秋恵がおごったに違いない、カモられたのだ、というようなことを思いめぐらすのだから、相当にくだらない。だが、「生来の根がひどく穢悪でひどくダラしなくもできてる貫多は、彼女と親密度を増し、親愛感を深めてゆくにつれ、徐々に甘ったれ男の地金を覗かせる塩梅となり、それは精神面はもとより金銭面に於いても、そのとき二十八歳の彼女には実にイヤらしく依拠するようになってしまっていた。」といった独特の調子と言葉づかいが、そのくだらなさを他で得られないくだらなさにしている。そして、くだらなさを描くには正確なタッチが必要なことを教えてくれてもいるのだ。

 萩原朔太郎賞を受賞した鈴木志郎康の詩(『新潮』)は七十歳を超えた人のものとは思えないほど若々しい。隙間についてエッセイ風にイメージと思索を重ねていく「隙間問題」はウィットに富み、何気ない日常が息づいてくる発見がある。「極私的ラディカリズム」では「最近はカボチャを煮てます。/牛蒡と一緒に。/とろりっとして、ごりざくっ。/これが気に入って、/時にはグリンピースも入れる。/煮掛かったところで、/気を逸らして焦がしてしまったこと数回。 焦げ鍋の底を洗う。/がりがりと洗う。 がりがりの、/極私的ラディカリズム。 手元、がりがりの、/極私的ラディカリズム。」といった、口のなかを転がるような稚気あふれるオノマトペが鈴木志郎康という人の独特のタッチとスタイルをよくあらわしている。

 二〇〇七年、堀田善衛の三冊の自筆ノートが発見された。『すばる』にその一部が紹介されている。敗戦前後、堀田善衛は上海にいた。当時ヨーロッパへ直行するコースはなかった。とりあえず上海に行き、機を窺ってヨーロッパに向かおうとしたらしい。客死覚悟の出発だった。また、中国を見ておきたいという強い意志もあったという。国際文化振興会の上海資料室に籍を置いたものの、仕事は何もなかった。同じく上海におり、中日文化協会で翻訳出版の主任を務めていた武田泰淳が主たる話し相手となった(紅野謙介の「解題」による)。こんな一節がある。「武田さんと僕とが多少酔つて、互いに少々妙な気分的な共通感情の上で恐らく甘え合つて(僕の方が甘える率の多いことは確かだ)話してゐると、とことんのところでいつも武田さんは、己はちつともさびしくないからなあ、といふことを云ふのである。昨日はまた、少しさびしくならないと人間が益々愚劣になつて困る、とも云つた。少しもさびしくない[の]だなあ、むしろうるさくて困るよ。とも云つた。」武田泰淳と、その言葉を聞き、書き留めている堀田善衛というどちらの人間をも髣髴させる。プーランクとはだいぶ内容が違うが、こちらも見事なポルトレで、再び冒頭の吉田秀和の言葉を繰り返すことにしよう。
(文芸批評)







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