書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆野添憲治
播磨造船所日ノ浦工場――兵庫県相生市
No.2893 ・ 2008年11月08日




 兵庫県相生市は江戸時代まで、風待ちの船が入る小さな港だった。この港が大きく変貌するのは、一九〇七年に播磨船渠株式会社が設立され、港の一角に船渠が掘られてからだった。その後紆余曲折を経て株式会社播磨造船所となったが、一九三一年の満州事変で軍需産業は盛んになり、新造船生産高が急速に増大した。また、一九四〇年に政府と軍は、「武力行使を含む南進政策」を決定した。それにともなって船舶の需要が急増したので工場が拡大され、労働者も増加した。
 播磨造船所では「一九四一年三月に五一六五人だった労働者数は、一九四四年十一月にはその四倍の二万一五八三人に達した」(『相生市史』第三巻)が、急増した労働者は女子工員、学徒隊、女子挺身隊、受刑者など、太平洋戦争下の勤労動員政策によって登場した労働者たちであった。このほか、一九四四年九月から朝鮮人の「一般徴用」が開始され、播磨造船所でも徴用による朝鮮人応徴が、主に全羅南道から一七一〇人が入社した。朝鮮人応徴士は「至誠士」と呼ばれ、全員が集団作業に従事した(『播磨造船所五〇年史』)が、逃亡者が続出して定着率は悪かった。だが、この動員でも軍部が要求する生産を達成できないため、中国人強制連行者を移入した。
 「昭和一九年(一九四四)五月関係当局の指示により、華北労工協会と当社との間で約二ヵ月間の雇傭契約を結んで、現地へ勤労部副長西村恒を派遣し、第一回七月二五日一六五名、第二回八月一五日一六五名、第三回九月一三日一五七名、合計四八七名が入社した。出身地は大部分河北省で家族持ち三二八名、独身者一五九名、過半数は無就学者で年齢は一五才より六一才まで、平均年齢は三一才であった。全員を六中隊に編成して大隊長を置き集団作業に従事させ、造機部の製缶、鋳造、錬鉄の各工場を主とし、造船部の作業場でも勤務させたが、健康を考慮して徹夜作業は一切させなかった。宿舎は日の浦に平家建二棟二九四坪、炊事場一棟五二坪、洗濯場二棟一〇坪および便所二棟二四坪を建設し、料理は華人炊事者に担当させて、その嗜好に適するように考慮を払」(『播磨造船所五〇年史』)ったという。
 だが、「外務省報告書」によると契約したのは五〇〇人だが、乗船人員は一〇人減の四九〇人で、その原因は不明である。また、船中死亡が三人あったが、それも書かれていない。なお、「事務所一棟二四坪、駐在員室一棟一坪」が社史に書き漏らされているが、「この二棟に監視員や憲兵、巡査がいたと、飯田雅雄さんは証言している」(『一九四五年夏 はりま』)。また、朝鮮人の寮について、「石ころだらけの地面に柱を立てて、壁のかわりにコッパ(木片)をまわりに打ちつけただけの小屋」だったが、「中国人の寮も似たようなもの」という証言がある。なお、中国人の寮は三方が崖で、高さ九尺(約三メートル)の分厚い板塀で囲い、朝鮮人との接触に留意したと『会社報告書』には書かれている。
 社史には中国人に炊事を担当させ、その嗜好に適するように考慮したと書かれているが、どんな食材で、どのような食事がつくられたのかを具体的に書かれた資料は見つけることができなかった。ただ、事業場での死亡者は二五人だが、そのことに触れながら「外務省報告」では、「死亡原因の約半数は心臓病であるが、事業場作成の“疾病統計”によれば、疥癬一八八件(総人員四九〇名)で第一、膿瘍及膿創一三八件で第二となっており、全般的にひどい栄養失調の状況であったものと考えられる」と書いている。また、中国人の健康状態を書いた「会社報告書」では、「華人ハ日本人医師ヲ依頼シ軽病ナル者モ好ンデ診察ヲ受ケ」たので患者は多かったもののほとんど軽病だったと、信じられないような報告をしている。戦時中の責任のがれをしたとしても、あまりにもひどい書き方だ。しかし、敗戦後に送還される時は、「栄養、労働、住居、衛生等ノ生活環境一変シ」たため健康状態が甚だ良好になったと書く。敗戦後に中国人の生活環境が一変したというのは、戦時中はいかにひどい生活環境だったかということだが、そのことを具体的に書く資料がない。
 敗戦後の一九四五年九月一三日に、「ささいなことから中国人労務者三人を殺害する」(『兵庫県警察史(昭和編)』)という相生事件が起きた。戦時中に四国の高松刑務所の受刑者三千余人が播磨造船所に配置されたが、これを統率した相生造船報国隊主事の武田安吉(52)と同隊員の鶴岡良吉(46)は、姜貴有、姜富有、王玉明の三人を日本刀と匕首で殺し、死体を海に投棄した。武田は懲役一〇年、鶴岡は懲役五年の判決を受けた。二人は相生市陸墓地に埋葬されたが、王玉明の死体は見つからず、下着などを埋めた。一二年目の一九五七年に遺骨送還のため掘り出されたが、姜貴有の遺体には片腕と片脚がなく、姜富有の頭蓋骨には上下の顎がなかったという。日ノ浦工場の中国人強制連行はあまりにも謎が多い。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約