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評者◆杉本真維子
猫と遊泳
No.2893 ・ 2008年11月08日




 パソコンに向かって仕事をしていると、キーボードを打つ両腕の上に、猫が寝そべってしまうことがある。こうなると腕が重くて文字など打てない。もう寝なさいと言ってくれているの?と勝手に解釈してうれしくもなるが、やはり眠るわけにはいかないのでさっと腕を引く。すると、やっと邪魔なものがなくなった、という具合に身体をひろげて眠ってしまう。困るのだけれど、こんなところが猫の可愛いところで、「困った嬉しい」としかいえないような気持ちなのだが、とりあえず、この事態を口実に休憩することにして、コーヒーを淹れに席をはなれる。そして、戻ってくると、ときどき変なメッセージが、画面に書かれていたりする。

 mmmmmmmmmmnng
 
 ムーングと読めるけれど、それ以上考えようとしないのは、猫はキーボードを打たないからだ。それ以前に、言葉を喋らないからだ。けれども、モニターにはたしかに、さっきまでなかった文字が書かれている、ということが、私のこころを静まりかえらせる。
 今までも「gjっじょ」とか「bんkkkkk」など、彼は意味不明の文字をからだの後ろのモニターに映して、すやすやと眠っていた。もちろん、身長90センチの巨大猫ということもあって、足がキーボードにはみ出して偶然打ってしまうのだが、まるでまんがのフキダシのように、背後に言葉を浮かべてすまして寝ているので、あたかも彼自身が言った言葉のように見える。と、同時に、こんなふうに意味不明の言葉にばったりと出合うと、なぜか心を漱がれるような、すがすがしさを感じる。〝わからない〟という思考停止の領域には、ひんやりとした洞窟のような、澄んだ空気が流れているのかもしれない。そこには、意味不明という輝きもあって、無機質な文字のかたまりのずっと奥には、固い宝石が埋め込まれている気がする。それがときどき文字面を破り、ちらっと閃光をはしらせる、その瞬間に照らされるじぶんの明るい顔を、ずっと覚えていたくなるのだ。
 いま、机の上に、松井茂「DM Re-Creation」がある。一枚の葉書サイズのDMで、表には、私の住所と、上記のタイトルに加え「~DMの仕組みを考える~DM Re-Creation実行委員会」と記載されている。どんな情報かと葉書をひっくりかえすと、裏面には、中央寄せで「2-17-x/小宮山愛子、杉本真維子、相田英子、松浦寿輝、平出隆」と、小さく印字されているのみで、「情報詩」とあるが、じつは何の情報もない。名前が単なる記号にまで濾過されて、紙の上に並んでいる。たまたま自分の名前があったから、ということに関係なく、こういうものを送られると、自然と顔がほころぶ。意味を探さなくてもいいよ、そう言われたような、日常というガチガチの「意味」の網目から外れた瞬間の解放感。そのよろこびを素直に感じて、子供のようにはしゃぐ声が、じぶんのなかで響いたが、その声もまたさっきの「洞窟」へと吸い込まれていく気配があった。そこはどんな場所なのだろうか。自由という言葉さえ、まだまだ不自由であるような、名もない、根源的などこか、という存在を、やはり信じていると自覚する。いや、私だけではない。信じていなければ、だれも詩など書いていないかもしれない。
 そろそろ起きるかな。触りたい誘惑に負け、鼻の穴をこちょこちょすると、ちょっと不機嫌そうに床へ飛び降り、歩きはじめる猫の背骨はゆらゆらとして、遊泳する魚の背の動きにとてもよく似ている。だから猫は魚が好きなのだろうか。もともとは魚だったんじゃないの? 話しかけても部屋のなかはもう水槽のように無音で、意味不明の文字だけが、きょうは明るく浮き立っている。







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