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評者◆志村有弘
島原の乱と赤穂浪士に材を得た異色作、摂津国の庄屋の苦衷を描く――古稀を過ぎた男の性と恋を描く相馬庸郎の力作(「AMAZON」)、戦争の恐怖を綴る韻文の数々
No.2892 ・ 2008年11月01日




 現代小説では相馬庸郎の「命根」(AMAZON第431号)が秀作。古稀を過ぎた男の恋と性を描く。主人公相場紘平はダンス教室教師大本梨乃と恋に落ちた。病に倒れながら、紘平の狂おしいまでの思慕の情が達意の文章で綴られる。漱石の漢詩「帰来命根を覓む」に表題を得たらしい。なお、作者の相馬庸郎は国文学者としても知名の人。相馬を「あいば」と読めば、主人公の相場と重なってくるのも一興というべきか。
 歴史・時代小説に力作・佳作が多かった。諸知徳の「現人神」(あてのき第34号)は島原の乱を舞台として、心ならずもキリシタンとなり、城を脱け出た男弥一郎の姿を描く。古記録では天草四郎は様々な妖術を使い、神の子として崇められたという。作者はそうしたことを踏まえながら、弥一郎の眼を通して、四郎が神の使いではないことを語ってゆく。弥一郎は豪農の娘マリア佳子に恋心を抱いていたことから、マリアと共に十字架に上った。マリアは刺殺され、自分は命を救われる。四郎は美女を嫌い、七人の影武者がいたことなどを描く。構想のよく練られた作品である。
 逆井三三の「くたばれ忠臣蔵」(遠近第35号)が面白い。大石内蔵助はさほど仇討に意義を感じていない。吉良には憎しみもなく、主君の内匠頭への深い思い入れもない。だが、結局、仇討派に流されていってしまう。本懐を遂げたものの、赤穂四十七士は全員切腹し、吉良家も断絶した。赤穂浪士の仇討で「得したものはいなかった」という末尾の文がきいている。庶民の身勝手さ、武士の無意味さも巧みに表現されている。
 穂積耕の「庄屋の職分―摂津国高浜村・押領吟味一件」(法螺第59号)は、文化年間、摂津国高浜村の庄屋勝之助と難題を持ち掛ける領主との闘いを描く。領主の横道に敢然と立ち向かう勝之助とそれを助ける人たちの姿もさわやかだ。領主に味方したものの、やがて村を出奔する源左衛門も領主の犠牲者であった。ストーリーの展開にやや重苦しい感じもするが、資料を丹念に押さえた労作である。
 武野晩来の「桃の花びら」(青稲第81号)は、元武士の男を主人公とする世話物時代小説。苦界から救おうとしていた女が心中し、男の努力は徒労に終わるのだが、重厚な文体で最後まで飽きさせない。「花は誰のために咲くのでもない。ただ自分のために精一杯開くのだ。でもその花を愛でる人があるなら花はいっそう生きてくる」という文章も美しい。
 随筆では、江戸を歩く会の会報「八百八町」(第8号)は小冊子ながら、江戸時代の人情風物をじかに感じる思いがする。野村敏雄は「見る聞く歩く学ぶ―江戸」で、義理人情に厚かった江戸庶民に対し、現代人の冷えきった心と救い難い政治の貧困を述べ、郡順史は「上野のお山」で「義と意地をみせて滅んだ」彰義隊への崇敬の念を述べる。湯本明子のエッセイ「闇の森心中」(文芸シャトル第63号)が、忘れられた大衆文学作家潮山長三を視座とし、闇之森八幡社の縁起を紹介する。以前、潮山のミステリー風な作品に心魅かれたことを思い出した。歴史といえば、大掛史子の詩「迦陵頻伽」(墓地第63号)は、鞍馬の山中で妹能子が笙を奏でながら、亡兄義経に思いを馳せる姿を綴る。人の世のはかなさを感じる叙事詩。
 詩では、「COALSACK」第61号が詩人浜田知章の追悼特集と長崎原爆の詩とエッセイを特集。伊藤眞理子は「フォールアウト」で「あの六十三年前のきよう 八月九日」B29爆撃機がプルトニウム爆弾を落とし「その火球の下の生きものは/無差別の殺意に灼かれた」と記し、河野洋子は「記憶」で「漸くたどり着いた 浦上の地/焼け野に包まれ/遠くの/崩れ落ちた赤いレンガの天主堂」を思い出し、「六十年の歳月を経ても なお/刻まれた恐怖が 消えることはない」と記す。また、崔龍源の詩も深い感銘を覚えた。「COALSACK」第61号は貴重な歴史史料となるに相違ない。〈戦争〉に注目すると、下川浩哉が「国の歩み」(九州文学第525号)で「静かな戦慄が走るのはなぜ/遠い記憶の底に埋もれていた/いや埋めてしまいたい軍靴の響き/その響きが徐々にだが/確実に迫ってくる」と国の歩みに強い不安を訴える。千早耿一郎の「葦の地帯」(騒第75号)は、戦争体験を根底に「人間は考えることを/抛棄してしまった」と人間の愚かさ、脆さを痛切に批判し、天路悠一郎は詩「十五歳の夏」で、敗戦時の自分を「かくて赤心にもえた愛国心は虚脱感に変り/まつりごとにはけっして手をださないと誓った」(花第43号)と吐露している。
 短歌では、滝口悦郎の「出征の日が初対面往きしまま耳不自由な年嵩の従兄」(未来第680号)、矢野伊知夫の「被爆者の手記に報復の記録なし深き悲しみを思はざらめや」(新アララギ第11巻第九号)と、悲惨な戦争の傷跡を歌っている。人間はなぜ愚かな戦争を繰り返すのか。その意味で、山本十四尾が詩「巣林一枝」(墓地第63号)で、「たった一本の枝に鳥が巣作り」しているさまを見て「生きるためにこれでこと足りるという」鳥の姿は「衝撃の示唆であった」と述べているのを忘れてはならない。人間はとかく欲望を持ち過ぎる。
 句誌「鬣」第28号が芥川龍之介の俳句を特集。暮尾淳は芥川と和田久太郎の接点を視座として二人の俳句を考察。他に瀬山由里子が芥川俳句の寒暖に注目し、中里夏彦は芥川俳句に見る〈一点を凝視する目〉について論じている。「船団」第78号が近年死去した、赤尾兜子や飯田龍太など十四人の俳人について「あの俳人の今」と題する特集を組み、諸氏が俳人たちの特色を論じている。
 一切の生あるものに優しいまなざしを注ぎ続けた詩人武田隆子が五月二十五日、九十九歳の天寿を全うした。菊田守が「武田隆子さんはかけがえのない詩人であった」(花第43号)と哀悼の気持ちを述べ、詩誌「りんごの木」第19号には武田の「春はいいですね……」で始まる詩を自筆のままに掲載している。歌誌「荒栲」第三巻第五号が石鍋トリ、詩誌「GAIA」第25号が高橋徹、歌誌「塔」第644号が中西泰子の追悼号。ご冥福をお祈りしたい。(八洲学園大学客員教授・文芸評論家)

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