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評者◆小野沢稔彦
アメリカの現在と、アメリカ映画を批判する――ブライアン・デ・パルマ監督『リダクテッド――真実の価値』
リダクテッド――真実の価値
ブライアン・デ・パルマ監督
No.2891 ・ 2008年10月25日




 ブライアン・デ・パルマの新作『Redacted』は、彼がこれまでそのスタイルとしてきた、映画という表現に対し斜に構え、あるいはケレン味によって作り上げてきた、彼の映画美学から一転し、正面から映画と世界とに向き合おうとする問題作である。それはアメリカの現在のあり方への怒りであり、アメリカ映画への批判なのである。では『Redacted』はどんな映画か。
 まず第一に、イラク戦争の本質とその当事者――戦争を作り、拡大し続け、今も民衆を虐殺し続けている――アメリカの行う戦争についての映画である。そして第二に、戦争を担う兵士たちの現実についての映画である。ここには、これまでのデ・パルマの映画に登場するような有名俳優は、登場することはない。そのことは、これまでのアメリカの戦争映画を形成していた特権的な神話的人物と特権的な状況――例えば、コッポラ映画に代表される――は出現しようもなく、何よりダメなアメリカ人――ただ「ファックとファイト」だけが好きな――だけが登場し、まったく矮小な物語が、まったく無名の役者によって演じられるのであり、それこそが現代の戦士についての映画なのだ。
 そして第三に――このことによって『Redacted』は、これまでの戦争映画の水準を超えて、現代の戦争映画として突出したものになった――今日の戦争を戦争たらしめている、戦争をめぐる映像についての映画なのである。全篇、多様な視点での映像の引用によって作られたように構成されたこの映画は、才人デ・パルマのケレンの極北に位置する映画でもある。総ての映像はデ・パルマによって周到に作られた。そして、これまでの戦争映画そのものを内側から批判する戦争をめぐる映像についての映画となった。
 さて、アメリカがイラクにおいて行う戦争とはどのようなものか。そこではダメ兵士が何を考え(あるいは考えないで)、どう戦っているかが、まず「戦争映画」らしく美しく完璧なスタイル――荘重な音楽によって雰囲気は高められる――を持つ映像によって始まる。『検問所』というタイトルを持つこの「作品」は、しかし、英語ではなくフランス語であり――英語映画は、もはや真実の戦争映画も描くことはできない――そこで描かれる戦争は、ただ熱さと異様な臭いの中で、兵士が身体的に感応する捉え所のない、とまどいと恐怖という「日常」そのものであり、その中に放置されたままにある兵士は、私は何者なのか、どこにいるのか、を問うことをあらかじめ封じられているのである。彼らはただ、内へのセックスと外への暴力の欲望だけによって存在を支えている。
 訳の解らない検問。時にそこは、一方的銃撃戦の戦場とも化す。結果として、民衆の検問突破が産気づいた妊婦を運ぶためのものであっても、無許可の行動は、軍事制圧の対象以外ではない。銃撃と虐殺。アメリカが作り出した規制――そんなものはイラクの民衆は何も知らない――による軍事行動が規制通りに行なわれただけだ。すると、突然に「作品」は「報道」によって断絶される。ここでは「作品」など成立しようもない。アラビア語テレビ局のレポートが入り、妊婦とお腹の子供が死んだことが報道される。規則通りの生の虐殺。アラビア語放送の伝える〈出来事〉は深く血の記憶として民衆の中に浸透する。
 一方、アメリカ軍キャンプの殺伐とした日常は、兵士によるホームビデオ――映画人になりたいというチカーノによってタレ流されるように撮り続けられる――に、ダメ軍隊の日々の物語として記録される。ここにはイラクの時空そのものが、アメリカ国内から弾き出された落ちこぼれアメリカ兵を包囲している現実が、はからずも記録されてゆく。ここには、叙事詩的物語はないし、そこに登場する神話的人物もいない。落ちこぼれが構成する兵士たち――酒とバクチとセックスへの妄想の日々を送る――は、命令のままにイラク民衆と文化の全てを圧殺していく。「帝国アメリカ」の断末魔の状況。そのアメリカの軍事行動の総ては「テロリスト」側もしっかりと捕捉・記録しつくしている。米軍行動を正確に把握した「敵」は、まったく姿を見せぬまま、時に作戦行動中の米軍兵士を爆殺する。イラク中が――サッカーに興ずる子供たちも――米兵を狙う! その爆殺の現場は、兵士のホームビデオに撮られている。つまりホームビデオは部隊内監視システムの表象でもある。監視。軍隊とは監視システムでもある。兵士はホームビデオの前で自身の行動を演ずるように、部隊内の監視カメラの前でも、そのダメキャラクターを演じてみせる。そしてその暴力幻想は、現実的に実行される。例えば、何の根拠もなく、突然に大量破壊兵器が隠されているとされる家への検索行動――英語リポーターの同行――となり、家人の理由なき――アラビア語文書一枚があれば、それは証拠だ――拘束と暴力、そして破壊が偏向なき報道カメラの前で公然と実行される。米軍と兵士は正義を行う。
 時に、兵士と家族を繋ぐ米軍のサービス映像。しかし、落ちこぼれ兵士の中には〈家族〉というアメリカを支える神話からも落ちこぼれたものも多い。やがて、イカレ兵士は、ファックとファイトを求めて、先日襲い、主人を拘束した後の、男なき一家を「淫売の臭いがする」危険故に再び急襲する。これらの行動はまず、ホームビデオの前で告知され、監視カメラの前で再演され――この過程で良識派兵士も自己弁護の理由をみつけ――部隊の総意として全員で実行される。そして、出来事の全ては決定的映像を撮りたいと念ずる映画人候補生の加担のカメラで記録されることとなる。レイプ、銃殺。惨劇とそれを嬉々として演ずる者。また、逡巡する者、それぞれの役回りを演ずる者を映像は正確に映し出す。少女へのレイプと彼女を含む家族四人の惨殺。兵士はアメリカの正義を演じた。
 やがて自由の守護神アメリカを守護する軍事審判。その進行を記録する調査尋問ビデオ。そこでは誰もが間違っていないことだけが虚しく証明されるだろう。その後、ホームビデオを撮ったチカーノがテロリストによって報復のために惨殺される――流された血は血で決済されなければならない。
 これまで映画は、その作為されたフレームの枠内で戦争を憤り、平和主義の身振りを行なってきた。しかし、戦争を描くことの批判を行なわない限り、映画は戦争を再生産するだろう。戦争は映画であり、映画は戦争なのだ。映画の戦争をどう批判的に映画にするのか。デ・パルマがアメリカを向こうに回し開始した戦いはラディカルなものである。







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