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評者◆秋竜山
ブ厚い雑誌、の巻
No.2891 ・ 2008年10月25日




 「ブ厚い雑誌」と名前を変えたいくらい。「文藝春秋」だ。あの厚さにつられて買ってしまうものもいるとか。文春新書編集部編『昭和二十年の「文藝春秋」』(文藝春秋、本体九五〇円)。
 〈文藝春秋社の昭和二十年における極限状況は、そのままこの国の極限状況でもあったのだが、それでもなお「文藝春秋」は六冊つくられ読者の手に渡った。敗戦前に三冊、そして敗戦後に三冊‐。〉(はじめに‐石田陽子)
 面白いというべきかどうか知らないが、昭和二十年という年は日本の前後というか二つにわけられた記念すべき考えさせられる年であった。「文藝春秋」においては、前三冊、後三冊。敗戦前と敗戦後。昭和二十年という区切りのよい年? いずれにせよ、この昭和二十年という年は日本にとって日本人にとって、いつも何かの基準のようにして語られ測られる。そして、八月十五日という一年のド真ン中ときている。本書でいう〈昭和二十年における極限状況〉とは、知っているものはわかる。が、知らないものはわからない、という状況だろう。いったい極限状況とはどのように極限なのか文字の上だけではわからない。昭和二十年にタイムスリップでもすればわかるだろうが。もし、若者が「わかります」といっても「そーか」といって簡単に信じるわけにはいかないだろう。「なにいってんだい。わかるわけがないだろ」と、あの当時に生きていた人たちはいいたいだろう。が、しかし、なにぶんにも遠い昔となってしまって、言葉上でわかっているように思えるだけで記憶は遠くはるかかなただろう。
 〈昭和十九年十月号にはまだ二色刷の表紙があったが、新年号からは本文六十四ページのみで、表紙は目次を兼ねている。二十二年前、菊池寛が「自分で、考えていることを、読者や編輯者に気兼なしに、自由な心持で云って見たい」と創刊した大正十二年一月号の形態にまで戻ってしまった。粗悪な本文用紙、インクがにじんで文字がよく判別できないページがたくさんある。もちろん「自由な心持で」執筆することは許されていない。軍によるきびしい言論統制により、すでにライバル誌の「中央公論」と「改造」は昭和十九年七月号をもって廃刊、両社は解散へと追い込まれていた。〉(石田陽子)
 文藝春秋の今のブ厚さからくらべ表紙は目次を兼ねて本文六十四ページという情けない薄さである。しかしながら、こうも考えられる。情けない気持で読んだ当時の文藝春秋は、涙が出るほど面白かったであろうということだ。本書には、その表紙が写真でのっているが、面白さの極限ではないかとさえ思えてくる。敗戦第一号は十月号である。〈国家敗亡の日、八月十五日は言論が自由になった日でもあった。〉十月号の〈其心記〉の中で菊池寛は、〈○本誌は従来〈右傾せず左傾せず中正なる自由主義の立場〉を保持していたことは、自分が時々声明していた通りであるが、この数年来、自由主義という言葉さえ、非国民的であり、非愛国的であり、戦争反対的であるが如く解釈されていた。(略)〉とある。〈敗戦については、あまり何も云いたくない。が、その無念は、何人も綿々として尽きないだろう。(略)。〉「そんなこと、わかんない。だって生まれていなかったんだから……ね」と、いう日本になりつつあるようだ(?)。







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