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評者◆矢部史郎
三浦展の学歴信仰――変化する状況下で「学歴信仰」をすてられないでいるのは誰か
No.2891 ・ 2008年10月25日




 新書の類は読んだことがない。手に取ることもない。だから、書店の新書のコーナーがどんなことになっているのか、私は知らなかったのだ。三浦展著『下流大学が日本を滅ぼす――ひよわな“お客様”世代の増殖』(ベスト新書)。オビにはでかでかと「いまどきの困った学生たち!」とある。あまりに下劣すぎて呆れた。いったいぜんたいどういうことなんですか。いや、それよりなにより、ベスト新書ってなんだ。
 「本書では、ひよわで、甘えん坊で、自己愛の強い学生、新入社員の実態を探り、さらに、そういう若者を生み出す入試制度にメスを入れ、まともな人間を生み出すための処方箋を示す」(カバー能書き)
 すごい自信だな、と思う。大学や大学生について、なにか提言をしたり注文をつけたりする行為は、人間をこんなにも不遜にさせるものらしい。念のために説明すると、以上の二文は反語である。文面は勢いよく居丈高に書かれているが、行間のはしばしに自信の無さと卑屈さがあらわれている。おそらくこういう有様を「イタい」というのだろう。
 さて、「ひよわで、甘えん坊で、自己愛の強い学生」というのがいたとして(まずこの捉え方自体が間違いなのだが)、そういう問題のある学生がいたとして、それがなんなのか。なにが、なぜ、「いまどきの困った学生たち!」なのか。そもそも本当に困っているのか。困ったような振りをして、馴れ合っているだけではないのか。
 私について言えば、若いやつがどうしたこうしたで困ったりはしない。海にクラゲがいるように、世間にはグズな人間がいる。グズにはグズなりの接し方をして、重要な仕事は任せない。それだけのことだ。なにも困らない。グズが寄り集まってグズのシーンが形成されたとして、それは世の常、驚く話ではない。グズが何人いても、私は困らない。見込みのある人間が一人いれば、それで充分だ。
 繰り返し問うが、なぜ、「いまどきの困った学生たち!」なのか。誰になにを期待しているのか。大学がきちんとしていれば、自分を困らせない「まともな人間」が続々と会社に入ってくるだろうとでも考えているのか。笑わせるな。それこそ、ひよわで甘えきった幼稚な発想だ。それは、三浦が論難するところの「下流」そのものではないか。
 問題はこれがインターネットの掲示板に書き込まれたグズ学生の主張ではないということだ。大学の社会学部を卒業して、企業に入って、雑誌の編集長を務めて、総合研究所やらなんやらで二十数年を生きて、今年もう五〇歳になろうという人間がこの程度、ということなのだ。小学生のスネ夫が小学生ののび太をからかったりするのとはわけが違う。五〇歳にもなったいい大人が、学生の無能をあげつらい、就職できない学生を笑うのである。なぜこんなに幼いのか。驚きを通り越して憤りすら覚える。
 知的な面において三浦展が気の毒な境遇であることは理解できる。彼はかつて一橋大学に通いながら、大学というコンセプトを理解することができなかったのだろう。三浦に会ったことはないが、文体や語彙の選択に気の毒な感じがにじみ出ている。ある意味で、落ちこぼれである。しかし三浦には残念なことだが、大学は気の毒な人を中心にして動いてはいない。社会が大学にもとめ、大学が実践しているのは、三浦の腑に落ちるような次元の話ではない。三浦にとって腑に落ちないものをこそ社会はもとめていて、そうした次元で我々は一喜一憂していて、それが大学の価値なのである。三浦にしても、そのことは漠然と感じ取っているはずだ。どうやら大学には自分がつかみそこねた何かがあって、それは三浦の説法よりも強く人々の関心を惹き付けていることを。世の親たちは、自分の子は三浦のようになってほしくないと考えていて、三浦のような低俗さを忌避することが、大学という企図を支えているのだ。
 大学と大学生を語るときの三浦の語り口には、落ち着きのない焦りに似たものがつきまとう。焦りに似たものとは、つまりこういうことだ。なぜ「パチプロや風俗嬢になったほうが適性がありそう」な人間に、奨学金を与えて進学させるのか。なぜ就職に結びつかない教育に人々は邁進するのか。三浦には逆立ちしてもわからないだろう。「パチプロや風俗嬢になったほうが適性がありそう」な人間、そもそも大学にいく必要のない人間というのは、煎じ詰めれば、女子学生一般を指すものであるだろう。なぜ、娘に、高等教育を受けさせるのか。そしていまある現実として、なぜマーケッティングアナリスト三浦よりも、パートで働く主婦の方が、高い知性と見識をもっていたりするのか。なぜ正社員にもなれないそのへんのフリーターの女が、三浦の精一杯の理屈を、鼻で笑うのか。
 ここでは市場の論理は通用しない。高等教育が労働力市場に従属するというのは、ある限定された(男性中心的な)領域での話にすぎない。教育が労働力市場に完全に従属したことはないし、これからもない。教育活動と労働力の再生産とを一体とみなすのは、偏狭な妄想にすぎない。世の親たちが娘を大学に送り出すのは、三浦が考えるような「学歴信仰」のためではない。だから、三浦の言う「下流大学」が労働力市場とマッチしないというのは、しごく当然の話であって、そんなことに驚いているのは三浦だけなのである。状況は動いている。いつまでも「学歴信仰」をすてられないでいるのは、三浦自身なのだ。
(著述業)







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