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評者◆生野毅
「人は泣きながらは生まれない」池田澄子エッセイ集『あさがや草紙』(角川書店)
あさがや草紙
池田澄子
No.2890 ・ 2008年10月18日




 前回の本欄で扱った『休むに似たり』(ふらんす堂)のほぼ一ヶ月後の八月半ばに、池田澄子氏がひき続き『あさがや草紙』(角川書店)を上梓した。
 前者は主に批評的散文の集成であり、後者は滋味あふれるエッセイ集であるが、一人の俳人がたて続けに充実した内容の散文集を刊行するのは異例のことであろう。そして、前著が俳人として他者としての世界に対峙することで、それ自体俳句的といえる凝縮力をたたえた透徹した散文空間を現出させていたのに対し、主に『俳句』誌上の連載エッセイを収録した『あさがや草紙』では、「…つい、又もうかうかと本当のことを書いてしまったりして、更に身の置き所をなくしている。」(『あさがや草紙』「あとがき」より)という著者の言葉を裏打ちするように、著者の季感、個人史、身辺雑記に至るまでが、深い陰影をたたえつつ、時に軽妙洒脱でもある文体と筆致によって豊潤に展開されてゆく。
 例えば、前著においても池田氏の原風景である父の戦病死という痛切な出来事は語られていたが、『あさがや草紙』所収の「二人の父が居た」という一文では、敗戦後に亡父の弟が池田氏と二人の弟の母と再婚し、新たに父となった事実が述べられている。このことについて、池田氏は「おそらく一生に一度の、表現行為とは全く掛け離れた個人的な生活の記録である。」と述懐している。
 …亡くなった父は、戦争で可惜若くして命を奪われた人々の「一具象」として、私の俳句の中に在らねばならなかったのである。そのために、私の書いたものの中に父・勝(註・亡父の弟である二番目の父)は居ないかのように見える。そのことを、育ててくれた父に対して余りに申し訳なく思ってきた。(「二人の父が居た」)
 ここでは池田氏が散文へ向う動機そのものが語られている。池田氏の人生は俳句によって導かれてきたのであり、前著や本書の見事な散文もまた、日々の俳句精進によって鍛えられたものであろう。しかし、とりわけ本書において池田氏の新たな水脈と見える散文家としての資質は、「須く一俳人、初代某でありたいから。」(「またも加齢の春よ春」)と誓って生きてきた彼女が、「具象」の背後の世界そのものから不意撃ちされた結果ではないだろうか。「人は泣きながらは生まれない」(本書の冒頭文「誕生・あらゆる災難の中で」)、「災難」と、同じくらいの喜びに満ちたこの世界から。







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