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評者◆蜂飼耳
かぼちゃの読書
No.2890 ・ 2008年10月18日




 花屋の店先に置かれた椅子の上、もうひと月以上、座りこんでいるものは、橙色をしたかぼちゃだ。大きくて平たい。少しも沈もうとしない、頑固な座蒲団のようだ。店頭の飾り物かとよく見ると、札がついている。札にはひと言、こう書かれている。「いくらだったら?」。離れながら、あたまのなかでその意味を転がす。ハテナのつづきは、なんだろう。「買いますか?」「買えますか?」「お買い上げいただけますか?」。そんなところだろうか。巨大なかぼちゃのオークション。いまのところいくらまで上がったのか、訊きたくなったが、やめた。自分ならいくらだったら買い取るかと考えて、わからない。とくに欲しくはない。それにしても、食べられるのだろうか。鈍く底光りする座蒲団のようなかぼちゃは。
 必要があって、倉橋由美子のさまざまな著作を読み返している。作者のはじめてのエッセイ集『わたしのなかのかれへ』(講談社)は、奥付によると昭和四十五(一九七〇)年の刊行。「パルタイ」を書いて作家となった一九六〇年から一九六九年まで、エッセイを執筆年ごとに編んで収めたこの本は、つまり、学生運動が盛んだった時期をふくんでいる。作者自身が大学生のあいだに小説の執筆をはじめたことも無論関係するだろうけれど、大学や学生をめぐる文章があちらこちらに顔を出す。若さの周辺を掘る文章。
 一九六八年の章に「カミュの『異邦人』やカフカの作品―わが青春の読書―」という文章がある。作者が三十三のときに書いたエッセイだ。青春という言葉がどこかレトロな空気を纏うことなしには現われようもない現代では、このエッセイに出てくるたとえば「青春の読書」という表現などからは、古めかしい響きが聴こえる。だが、そこでいわれている内容は、なるほどその通りだと頷けるものだ。若者に特有の熱烈さで、惚れるように出会った本、「それははたして読書なのだろうか?」と作者はいう。「偶然出会って恋をした一冊(または数冊)の書物との媾わりで精神の形が決定されてしまうのは耐えがたいことではないだろうか?」。その通りだ。読書とは、そういうものだ。恋愛に酷似する。作者の言葉はまだつづく。「いまになって考えると、このような青春期の読書そのものは未定形の精神がかかるひとつの病気であって、大切なことはこの病気からの回復に成功するかどうかということである」。
 つまり、青春期以後の読書は、治療とリハビリのためにも大事だというわけだ。作者の理屈でいくと、本を読むことの愉しみがいっそうわかってくるのは青春期以後なのだ。どうなのだろう。結局は、どの年代にも、その年齢でなければわからない読み方が生じるはずだ。だから、同じ本を別の年齢のときに読みたい、読み直したい、と思いもする。
 葉書を受け取る。鳥取へ旅をした知人からだ。尾崎翠の故郷である岩井温泉にも寄ったと、因州和紙の葉書に綴られていた。十年ほど前、自分も行ったことがある。映画「尾崎翠を探して」(監督・浜野佐知)が出来る少し前で、生家の寺を訪ねたら、このあいだは映画関係の人たちが来ましたよ、といわれた。そんなことを思い出しながら、とどいた葉書を読む。因州和紙の葉書には、赤や緑や水色の小さな四角形が漉き込んであり、ぱらぱらと散らばるその色彩を眺めながら、遠い記憶を甦らせる。倉橋由美子の言葉に従えば、尾崎翠に関してはいまだに若き日の病気が治癒していない。「第七官界彷徨」や「歩行」、それに「松林」は、幾度読んでも、じっくり読み直せる。治癒しなくてもいいや、と思うのだから、重症だろう。とはいえ、それが、なぜなのか、考え観察することを放棄しようとは思わない。「鳥取では二十世紀を食べましたか」と、返信に書いた。梨が好きなその人は、鳥取が生んだ品種「二十世紀」を「二十一世紀」と書いて憚らない。返信は、まだ来ない。







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