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評者◆杉本真維子
自動販売機とリタちゃん
No.2889 ・ 2008年10月11日




 自動販売機を見ると、ときどき、リタちゃんと呼ばれていた女の子を思い出す。高校生のころ、一時期、いっしょに帰っていた。とても気が強く、存在自体が棘のように尖っていて、でもこころの奥には深い温かさをもっているひと。けれど、やはり、一緒にいて安らいだ覚えはなく、私はついにこころを、完全に開くことはできなかった。卒業以来、一回も会っていないので、今はどうしているか、まったく知らない。
 彼女とは、クラスが違ったが、あることで知り合い、その数日後から下校時間になると毎日欠かさず、私を教室まで迎えにくるようになった。当時は、クラスの友人と下校していて、「女子」というのは、なんとなくそれが決まり事のようになるものなので、彼女の暗黙の〝ルール〟の破り方に、はじめは驚き、戸惑った。でも、じつは私は女子特有のべったりした群れ方に嫌悪感があって、隙あらばと一人行動を目論んでいたくらいなので、「ちょっと変わったひと」と思われていたことが功を奏し、どちらとも、どのグループの子とも、気兼ねなく帰ることが可能な位置にいた。なんだかこう書くと、自分をモテる男のように言っているみたいだが、そうではなくて、女子という群れの世界で、反感を持たれずに一人で勝手に行動することは結構難しいことなのだ。
 けれども、毎日彼女と帰るわけにもいかず、ときどき断ると、激怒し、しかも脅迫めいた言葉まで投げつけるので、こちらも気が重くなり、そのうち、毎日必ず迎えに来る、ということが恐怖になってしまって、終業のチャイムと同時に逃げたことがある。そうすると猛烈に怒り、騒ぎ立て、学校中を探しまわって、どんな手段をつかっても、絶対に一緒に帰ろうとした。そこまで追いかけてくれるなんて、今思えば微笑ましく、ありがとうと言いたいくらいだが、当時は本気で怖かったのだ。探しだされたとき、私はどんな顔で、彼女に捕まったのだろうか。自首する犯人のようにうな垂れて、ロッカーかどこかから出てきたのか……。だんだん思い出してきたが、「今日は約束がある」と私も私で折れずにはっきりと告げた気がするが、彼女はそんな話は一切聞かない。クラスの友人に憐憫の目で見送られながら、強引に連れ出されていく。冗談のようだが、本当の話である。
 そんなことだから、もちろん、会話が弾むはずがない。ひたすら一方的に、彼女の話を聴いて帰るのだが、心を閉ざしながらも、私のなかで、ふわりと愛情のようなものが芽生えた瞬間があった。もしかして、拘束の力から始まる友情もあるのだろうか。ひどく不自然だが、その不自然さが、心と身体ががたがたと噛合わない〝思春期〟の痛みと混ざり合い、日に日に記憶を濃くするのである。
 彼女は自動販売機のジュースを、しょっちゅう、おごってくれた。私だけでなく、色々なひとに。それは、高校生にしては珍しい行為だったので、よく覚えているが、それをさびしさの裏返しと追想してはいけない気がした。ただ、そうしたかったから、そうしたのだ。彼女にかぎっては、そんなシンプルな受けとり方が、もっとも相応しいように思える。
 ある日、いつものように、彼女が自動販売機の前で、飲み物を選んでいて、そこで呟かれた一言に、心底びっくりしたことがある。しばらく商品を見つめてから、「飲みたいものがないからほかの自販機へ行こうよ」と、言った。他人が聞いたら、何の変哲もない言葉だろうが、私は、その瞬間、自分の視界が大きくひらかれ、世界が一変するくらいの衝撃をうけた。なぜなら、私にとって自動販売機というものは、飲みたいものがあってもなくても、とりあえずそこから選択するものと、決まっていたからだ。だから「ないからほかへ行く」という発想は、その狭い常識の柵を高速でなぎ倒し、欲求というものが透明な生き物のように美しく走りぬけるのを感じた。自由という言葉が、生まれて初めて、よろこびとともに湧きあがったが、私はそういうことを、いつも口に出した覚えがない。
 たぶんこれからも彼女とは会うことはないと思うが、一緒に帰りたいから帰る、自分の飲みたいものを飲む、どこまでも欲求に素直に、忠実に、それを叶えるためには他人の気持ちなんて考慮しないこと――それを肯定することの危うさは承知のうえだが、一方でそんな彼女のなかの尊さを最近思い、なぜか泣きたい気持ちになるのである。 







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