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評者◆野添憲治
三井鉱山日比製煉所
No.2889 ・ 2008年10月11日




 岡山県の瀬戸内海に面した小串村(現玉野市)の中浦海岸に杉山精銅所がつくられたのは、一八九七年だった。月産八四トンの銅を生産したというが、第一次大戦後の不況で休鉱した。一九二〇年に昭和鉱業日比製煉所として再開したが、一九四二年に三井鉱山に買収され、「もっぱら粗鋼と硫酸の生産につとめ」(『玉野市史』)た。労働者不足のため、すでに原鉱石が少なくなっていた。
 三井鉱山(現三井金属鉱業)日比製煉所に中国人連行者が来たのは一九四四年八月だが、もともと中国人を使う計画はなかったという。一三三人が天津市の塘沽収容所から日本行きの船に乗せられて出港したのが八月七日で、九日に下関港に到着した。鉄道の客車で現JR宇野線宇野駅に着き、三井造船玉野造船所の宿舎に入ったが、その日のうちに近くの三井鉱山日比製煉所の日華寮に移された。その理由は、「在玉野海軍監督官海軍大佐加藤泰助ノ命令ニ依リ玉野造船所ニ使用スルコトヲ禁止セラレ、県動員課特高課ノ強要ニ依リ当初動員学徒ト交換ニ華労ノ配置換ヘヲナスコトト相成リ」(「事業場報告書」)したからだという。華北労工協会と三井造船玉野造船所が取り交わした契約書で連行されたのだが、日比製煉所に移動したあとも、雇用契約の変更はなかったという。ただ、船中で一人が死亡したので、日比製煉所には一三二人が着いている。
 日比製煉所に連行された中国人の年齢は、一五歳以下三人、一六~一九歳二人、二〇~二九歳三三人、三〇~三九歳四九人、四〇~四九歳三六人、五〇~五九歳一〇人である。一家の働き手がほとんどであり、「楚方利さんは馬駒橋鎮東店村で妻と子ども二人、それに兄弟と同じ家にすみ農業を営んでいたが、一九四四年六、七月頃の早朝、一〇人以上の『自衛団』が塀をのりこえ侵入した。そして妻の目の前で後ろ手に縛られ拉致された。もう一人の生存者、龍徳慶さんは永楽店西庄村の自宅から永楽店東門外に駐屯する小銃で武装した『保衛団』十数人に縛られ拉致された。あとに新妻と母と弟たちが残され」(『総動員の時代』)たというから、その後の家族たちの生活はどん底につき落とされたのだ。
 日比製煉所の中国人たちの宿舎は工場内にあったので、管理や監視は厳しかった。中国人たちは三ヵ所の作業場に分けられ、作業はほとんどが運搬であった。鉱石を積んだ運搬車を押したりするほか、鉱石を運搬車に投入もした。どれも重労働だった。勤務時間は昼の一〇時間だったが、作業の都合で伸びることが多かった。とくに銅鉱石や銅製品を積んだ船が港が着いた時は忙しく、作業が終わるまで働かされた。衣服なども十分に支給された訳ではなく、冬は夏服の上に麻袋を頭と両腕がでるようにくり抜いたのをかぶり、その上に毛布をまとうという不十分なものだった。
 重労働のわりに、食事も貧しかった。「朝食と夕食は『巻子』(小麦粉を練り、薄く広げて巻いたあと長さ八センチに切り、蒸したもの)を四個、昼食にはスープに『片』(小麦粉を練って薄く広げ、短く切って蒸したもの)を二八、九個入れたものを食べた」(『総動員の時代』)という。秋になるとドングリを拾って残り火で焼き、皮をむいて食べたりした。白菜などの野菜もなく、道端の草を取って食べた。中国人に脚気が多発したのは、野菜不足が原因だった。
 作業が厳しいうえに食糧不足などが重なり、逃亡者もよく出た。しかし、地理がわからないうえに、駅などでは警戒が厳しかったのですぐに捕らえられ、工場内の宿舎に連れて来られた。日本人の指導員や幹部から、厳しい懲罰を受けた。また、米軍の飛行機が飛んで来たのを見上げただけでも、制裁をくわえられたという。中国人にとっては、まったく理不尽な暴力を受けたと思ったことだろう。
 中国人たちは日比精煉所内の現場で、二六人が死亡している。一人は入国時の船中で、もう一人は帰還時の船中で死亡している。残りの二四人のうち、一人は事故で、あとは病死だという。だが、死亡診断書はなく、事業場側の死亡者名簿によると、急性大腸炎が七人といちばん多く、次に肺結核や脚気などとなっている。しかも、一月から三月までの冬期に一三人も死亡しているのは、海岸近くの作業なので、寒風にさらされたことなどが原因になっていると考えられるものの、はっきりした資料は見つからない。
 また、事業場側の証言では、死者は火葬して骨壷に納めて日比精煉所の日華寮に安置し、生存者が還る時に託したといわれ、「遺骨・遺留品・弔慰金」を受領したという隊長王煥の受領書があるという。だが、一九五七年に日比観音院山内墓地で二五柱が発掘され、中国紅十字会代表の李徳全が出席し、興比会館で中国殉難者玉野慰霊祭が一二月一七日におこなわれている。翌年の第八次送還に遺骨二五柱を捧持したというから、事業場側の証言は信じられない。
 筆者は二〇〇八年九月、三井金属鉱業日比製煉所に行き、日華寮跡などの現場を見たいと要望したが、入構は拒否された。







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