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評者◆杉本真維子
ミレーと、視線の切り方
No.2887 ・ 2008年09月27日




 ミレーの絵「乳しぼりの女」の前に立つと、この暗さには覚えがある、と、遠い何かを思い出しそうになった。記憶が引き攣れたような感覚は、その先に詩があることを教えることが多い。手前の左側に褐色の牛、その右隣に女が描かれ、牛の腹に、顔をうずめるようにして、女が乳をしぼっている。どこかしがみついているようにも見えるそれは、褐色の牛と女を重苦しく同化させ、その女の日々の暮らしの厳しさが、生々しくこちらへ流出してくるようでもある。場面は、夕暮れ時、夜になる直前のころだろう。ほんとうに暗くて、思わず目を擦り、顔を近づけたが、それでもよく見えないほどだ。
 見えないくらいの暗さというものはたぶん描くのが難しい。じっと見ていると、頭を少し下げ、野外であるのにどこかへ入っていくような、歩行の感覚をおぼえる。そして、それが、さきほどから暗い暗いといいながら、なぜかこの絵に対し胸がときめく理由で、学生時代であれば、修学旅行の夜や、文化祭の夜が思い出されるような、非日常が漂っている。それは、夜というものが薄いベールを纏って、その内部で、人間どうしが小声で話しているような、野外でありながらの密室感である。たとえば、キャンプファイヤーなど、大勢で火を見つめているとき、このまま全員、運命をともにするかのような錯覚が胸を締めつけ、切ない気持ちになったことがあって、この絵からは、そういうふしぎな連帯感さえ、よみがえった。
 ブリヂストン美術館で、現在開催中の「美術散歩」。マネ、コロー、シスレーなど、大学時代、よく課題で評論を書かされた親しみのある画家がそろっているので、きゅうに見たくなって行ってきた。ところが、閉館30分前にとびこむかたちになり、この日は、ミレーの絵への感想ともうひとつ、〝高速で観てまわる美術館は意外によい〟ということを発見したのだった。短時間で180点も見られるはずがないので、すでに心構えがちがう。さあ、と第一室に足を踏み入れた瞬間の、内側の自分が連鎖的に目を開いていくような感覚がすきなのだが、その目の開き方までが高速で、すっきり爽快な朝の目覚めに似ている。もうきょうは印象派しか見ない、と決めてあるので、好きな絵は時間を気にせずに見て、そうでもないものは思い切ってとばす。後ろ髪を引かれるものは数点覚えておいて、最後の五分に小走りで(美術館で走ってはいけないのですが)もう一度確認しにいく。そうやって見ていくと、疲れない。そもそもあれもこれもと欲張るから疲れるのであって、一つの美術館は二度行くと予め決めておくと、本当にこころに響いたものだけが、掠れずに残る。
 ……とはいえ、でもやっぱり、時間があれば、やらないだろうな、と言ってしまうと元も子もないが、私がこの見方にひそかに感激したのは、絵から目を離すタイミングがわからず、それについてあれこれ考えた時期があったからだ。ひとはいったん見つめていた絵から、どんなタイミングで視線を離すのだろうか。額縁も、その風景からあっさりそこだけを切り取ってしまうのだから、本質的に冷ややかなものかもしれないが、人間の視線だって負けていないと思う。さっきまで夢中で見ていたのに、そこには時間の制約だとか、物理的な事情以外に、「もういいや」と何かを細かく、小さく、捨てるような、一瞬の無表情がある。その「間」は、おそらくどんな惨たらしいことも可能にする、おそろしい空白の何かであるような気がしてならない。美術館は、私たちの孤独な靴音以外にも、ひとりひとりの顔に、そんな陰影を微かに浮きたたせる場所でもある。







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