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評者◆秋竜山
表紙のモーレツな勢い、の巻
No.2887 ・ 2008年09月27日
〈本書には、「週刊少年マガジン」創刊号から五十周年記念号までの表紙の中から、漫画をメインビジュアルにした千二百八十九枚を収録しました。〉と、いう本。週刊少年マガジン編集部編『「週刊少年マガジン」五〇年 漫画表紙コレクション』(講談社、本体一四〇〇円)で、オール・カラーだ。登場漫画家総勢一七九名。ビックリした。と、いうのも、なんとなんと表紙の一つに私のマンガが使用されていたからである。証拠作品といったところだ。記憶のかなたへ飛んでしまっていたものが、突然にこのような形で目にふれられることは、うれしいに決っている。うれしくなかったら、どーかしている。コーフンと感動の嵐の中で、くいいるように我が作品を見る。そして、一言! 「なるほどねえ……」。なるほど、そーいうこともありました。週刊少年マガジンの歴史は重い。少年漫画の歴史といってよいだろう。本書の表紙を見ると、アットーされてしまうだろう。「俺は、この表紙の時代に生きたんだ」「今は、漫画も見なくなってしまったが、あの時代は確実に時代の中で生きていたんだ」ということを過去の漫画が教えてくれる。「そして、今は死んでいることになるのか」。漫画というものは時代の感性である。時代の感性についていけなくなると漫画を見なくなる。漫画についていけないのである。その昔、大人たちが驚きの眼で若者たちを見た。「今、若い者の漫画雑誌をめくる速度の速さにはビックリしてしまう。あのような早さで本当に漫画を見ているのかコマを追っているのか。俺たちにはとてもできる芸当ではない」と、これは本音であった。あの当時の劇画のペンのタッチといい画面構成といい、ページの白さを無くして黒くするという画風であったから、相当に描き込んだものであった。それには、描く作業にも時間がかかった。そのような作者の苦労など、考えることこそナンセンスであった。読者は、モーレツな速度で漫画のコマを一〇〇メートルを何秒かで走るようにして読んだものであった。それは、今の読者も同じだろう。もっと進化しているかもしれない。サテ、表紙の私のマンガであるが、一九七〇年二八号であった。表紙のありかたを無視しようと、表紙を二コマ・マンガ形式にした。よく、そのような発案をのみ込んでくれたのか、まあ、よくやってくれたものだ。
〈一九六七年の一〇〇万部達成以来、発行部数を伸ばし続け、一九七〇年には一五〇万部を突破。〉(本書より) そーいう、「それ行け!」ムードの中であったから、そーいうこともできたのだろう。みんな鼻息きが荒かったなァ! 発売日には書店に少年マガジンとか漫画サンデーとかが天井にとどくほどに積み重ねてあった。それが、積み終らない内に売り切れてしまったのだから。嘘じゃないホントだよ。今、漫画雑誌に勢いがないという。表紙を見ると、あの馬鹿売れした時代のようなメチャクチャ性がまったくない。表紙は本の顔であるから、まともではいけないのである。馬鹿馬鹿しいくらいメチャクチャでなかったら中身も面白くないことを表紙でいってしまっているようなものだろう。本書を見るとよくわかる。売れてる時代の表紙の勢いはすさまじいものを感じさせてくれる。 |
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