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評者◆野添憲治
北海道鉱業国縫鉱業所――北海道山越郡長万部町
No.2887 ・ 2008年09月27日




 北海道の函館から札幌まで走っている函館本線は、森駅と東室蘭駅の間は、右側が内浦湾である。別名を噴火湾ともいうが、ゆるやかな湾で、現在はホタテの養殖など育てる漁業が盛んである。
 この内浦湾はまた、日本有数の砂鉄の産地であった。「茂訓縫川より幌内の海岸にかけて厚層の砂鉄原野ありて、広大な面積にて計りたるものなし。室蘭製鋼所は之を目当として設立たるも、雑物多くして用なさずという」(『国縫』)とあるように、砂鉄は早くから着目されていたが、鉄業として発展しなかった。
 ところが一九三一年に満州事変がはじまり、鉄の需要が高くなった。だが、外国からはスクラップの輸入が困難になり、砂鉄に依存するようになった。北海道山越郡長万部町の遊楽部浜・山崎浜で砂鉄が本格的に採掘されたのは一九四〇年からだ。役場に残っている「財政課税鉱産税義務者台帳」には、北海道鉱業国縫鉱業所、菱香造機国縫鉱業所など一一の会社と個人が載っている。砂鉄の生産をめざして、採掘をはじめたことがわかる。これまで静かだった砂丘地帯は、一度に賑わったことだろう。
 北海道鉱業国縫鉱業所の砂鉄の採掘は、荒井合名が請負い、現場に国縫出張所を置いて作業をはじめた。この当時は原鉱を掘ると川まで運搬し、川で水洗法によって選鉱していたので、多くの人手を必要とした。しかも、時期を同じくして一一の会社と個人が採鉱をはじめたので労働力が不足し、人を奪い合うような状態となった。また、太平洋戦争に入ってからは鉄が不足したので、軍需省から増産を矢のように催促されていたことも、労働力不足に拍車をかけた。
 この時に荒井合名では近くの落部村と七飯村で鉄道敷設工事を請負い、労働力不足を補うために中国人連行者を使っていた。国縫の労力不足も中国人連行者を使って乗りきろうとして中国人を華北労工協会に申し込んだが、なかなか実行してくれなかった。日本国中が労力不足で、需要が殺到していたからだ。それでも一九四五年になって許可がおり、国縫出張所から中国へ引き取りに行った。済南収容所から二〇〇人が出発したものの、出航地の青島に来るまでに八人が病死した。青島から四月一五日に出発し、下関には四月三〇日に到着した。その後は汽車で運ばれ、国縫出張所には五月六日に着いたが、船や汽車では一人の落後者もなく、一九二人が到着した。
 中国人の飯場は作業現場に近い、海岸の砂丘に建てられていた。バラ板を打ちつけた粗末な建物で、窓という窓には鉄格子がはめ込まれていた。建物は真ん中に通路があり、その両側へ寝るようになっていた。海から風が吹き込むと、寒さに震えたという。
 中国人は長い旅の疲れを癒すこともなく、着いた翌日から作業現場に連れて行かれた。そのころになると採取した原鉱を馬車で川まで運び、水洗法で選鉱する方法から、採取現場で海の水を利用した、桶流し選鉱に変っていた。これは従来の方法に比べて運搬に費用をかけなくともいいうえに、廃鉱の処分も楽になっていた。中国人はスコップで砂鉱を集めてトロッコに積んだり、そのトロッコを押したりした。特別難しい作業ではないが、砂鉄は重いので持ち運びが大変だった。また、少し風が吹いても砂ほこりが飛び、目や口だけではなく、衣服の縫い目や袖から入り、皮膚を痛めた。爛れて肉がくさったようになり、働けないので薬を求めても、まったく配られなかった。傷が痛むのでうずくまっていると、棒頭がバケツに海水をくんできて、「なまけるな」と叫んでかけた。塩水が傷にしみた中国人は、泣き叫びながら砂丘をとびはねていたという。
 食事もまた悪かった。コメ半分にダイコンやムギが半分くらい混ざったのを、どんぶりに軽く半分と、たくあんと塩汁がついた。塩汁にはわかめか野菜が少し入っているといい方で、鏡汁の時もあった。しかも、朝は六時ごろから、夜は暗くなる八時ごろまで働かされた。出張所ではもっと働かせたかったが、暗くなると逃げ出す恐れがあるので、作業を中止したのだ。このため、栄養失調で作業中に倒れる人も出たという。
 中国人が国縫出張所に着いたのが五月六日で、日本が敗戦になって強制労働が中止になったのが八月一五日だから、約三ヵ月間に罹病者は一八三人であった。全員が病気になっているのだ。しかも、この短い間に、二四人が死んでいる。死亡診断書を信用すれば、脚気衝心とか肋膜炎が死亡原因になっているのが多いのだ。普通だと直接死に至る病気ではないのだという。死者たちは火葬にしたあと、隣の八雲町安楽寺に保管し、生存者が帰る時に持参したと出張所では説明している。
 かつて中国人が強制労働をさせられた長万部町国縫の海岸に行っても、その当時のことを伝える遺物は何もない。内浦湾に波が打ち寄せているだけであった。







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