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評者◆秋竜山
薄暗かった喫茶店、の巻
No.2885 ・ 2008年09月13日




 五木寛之『新・風に吹かれて』(講談社、本体一五〇〇円)で、喫茶店のことが書かれてあった。その時代に生きてきた人だ。なつかしい。喫茶店というものが、なつかしい時代となってしまったことは、当時喫茶店で未来の話などを、とりとめもなく話したものであったが、まさか喫茶店がなつかしくなる時代がくるなど考えもつかないことであった。「まあ、そーいう時代!!」ってことだ。本書では、〈どこかの街の喫茶店で〉と〈喫茶店の時代があった〉というタイトルで二本。当時、喫茶店なしでは考えられない生活であった。
 〈喫茶店、という言葉を最近あまり聞かなくなったような気がする。純喫茶、という看板もほとんど見あたらない。〉(本書より)
 喫茶店がなくなったのは、それなりの理由があるだろうが、いくら時代の流れとはいえ、なくなる時には誰がなんといおうとも、なくなってしまうものであるようだ。客がこなくなったから店をしめざるをえなかったのだろうと思う。そして、今、私のように街中をあっちこっちと、さがしまわっているものもいるわけだが、ひどいもので、一つの通りに、当時は、喫茶店がいくつもあったものだが、それが一軒もないということは、やっぱり喫茶店文化は時代のあだ花であったのだろうか。
 〈街も変わり、人も変わる。古い記憶もまた年々薄らいでいく。五十年前によくかよった店も、もうほとんど消えてしまった。〉〈戦後の私たち日本人にとって、それはたしかに貴重な広場だった。大学の教室よりも、高田馬場や新宿の喫茶店のほうが、うんと教室らしい場所だった。名曲喫茶、という言葉も、いまではほとんど死語だろう。シャンソン喫茶、タンゴ喫茶、同伴喫茶、ジャズ喫茶、うたごえ喫茶、そして美人喫茶という店も本当にあったのだ。(略)それにしても店のドアに「美人喫茶」と文字が刷りこまれていたのだからヘンである。〉(本書より)
 たしかに、あれが美人か?というような、美人もいた。そーでもない美人もいた。助平心で店へ入ってしまった自分達が悪いんだと思うと、文句もいわなかった。
 〈クラシック喫茶では、分厚い楽譜を抱えた音大の学生がスピーカーの前に陣どって、目を閉じてレコードの音楽を指揮していた。〉(本書より)
 鼻息きの音もうるさい!!といわれるほど、神経をつかいながら、コーヒーをすすったものであった。ボソボソとやっと聞こえるほどで話す。それでも、「シーッ!!」などと隣りの席からやられたものだ。音楽を聞くよりも漫画の話をするほうがたのしい。「シーッ!!」が何度かあって、しまいには出てってくれ!! とまでいわれた。ここはクラシック喫茶であるから、漫画の話などしてはいけないのであった。それに、喫茶店といえば店内が薄暗かった。もしかすると、あの薄暗いあかりを求めて喫茶店に一日中はいっていたのかもしれない。なぜ、喫茶店は薄暗かったのかというと、それは喫茶店だから!!という答えしかないように思える。明るい喫茶店に一日中はいっていられるわけがないだろう。







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