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評者◆齋藤礎英
ナンセンスの意味と教養というナンセンス――木下古栗は世界の揺らぎを感じさせない。出来事を招き入れる松尾スズキ
No.2885 ・ 2008年09月13日




 「新鋭創作特集」(『群像』)を読んで、リアリティのなさに困惑した。リアリティといっても、いかにも現実にありそうな本当らしさが描かれているかどうかをいうのではない。リアリティは、ちょうどギアを入れかえたときの加速感或は失調感が引き起こす世界の揺らぎのようなものだ。言葉でできている小説の場合、世界の揺らぎとは意味の変容であり、リアリティは文章自体にいかに出来事を招き入れることができるかによって保証されるだろう。この意味では、その内容が地獄や煉獄を経巡る話であろうが、人間が毒虫に変身する話であろうが、窓から差し込む朝の光に眩しさを感じる話であろうが、いつになく完璧な焦げ具合にできたトーストの話であろうがさほどの径庭はない。
 五作のなかでもっとも文章が達者な木下古栗の「教師BIN☆BIN★竿物語」は、プールサイドで貝殻を耳に当てて海のざわめきを聞き取っている男が、防水の名刺を持つ金持ちの実業家と話し、中年男と売れない画家と女との会話がAVの現場となり、そのAVをつくっているのが冒頭の男のかつての教え子で、教師は彼がつくるAVを次々と送りつけられている、というような具合に続く。叙述上の工夫はこらされているし、文章の密度も高い。しかし、リアリティは感じられない。防水の名刺、コンセントに感電して遅刻したと言い訳する女、唐突に出されるトルストイ、サヴィンコフといった固有名詞は、その突飛さにもかかわらず文章に出来事を招き寄せはしない。この突飛さは何か別のものにつながる根がなく、単に突飛だという点で他の突飛さと結びついているにすぎない。つまり、こういう突飛さを許す世界設定を聞かされるだけで、肝心のその世界の揺らぎを感じさせないのだ。結末前の「人間は誰しもこのようなフレキシブルな暗黒面を内に秘めているのではないだろうか?」という問いかけはとってつけたような紋切り型であるとともに、表層的でしかないこの小説の世界を少しも揺るがさないゆえにいっそう空虚である。
 松尾スズキの戯曲「女教師は二度抱かれた」(『文學界』)も突飛さの点では変わらない。教師と教え子が中心になっているのも同じである。いまは有名になった演出家天久は、人気歌舞伎役者を使って従来の歌舞伎を打ち壊すような公演を準備している。天久が高校生のとき、演劇を教え、男女の関係にもなった山岸諒子が女優としてこの公演に参加しようと画策する。そこに弁慶や鉱物といった奇妙な人物が加わって場を掻き回す。この戯曲は、「教師BIN☆BIN★竿物語」以上にくだらないギャグにあふれているが、様々な変速の工夫によって世界の揺らぎを捉えている。例えば、しごくウェルメイドな歌の歌詞が駄洒落や舌足らずな言葉の入り交じったアナーキーな台詞と隣り合わせにある。冗談から真実がほの見える(「山岸 こればかりは、すごく考えたいの。ごめんなさい、私、愚かだから。/鉱物 あんまり考えすぎると、本当の自分がなくなって、「考え」になっちゃいますよ。/山岸 なんですかそれは?/鉱物 「考え」が一人歩きする、というやつです。/山岸 恐ろしい。/鉱物 ある日気づいてみると、自分じゃなく、自分の姿をした「考え」だけがヒタヒタと夜道を歩いている……。」)。更に、ナンセンスなやりとりは自分の顔を失うかもしれないという演劇人共通のテーマに収斂する。結局、両者の違いは言葉に対する信頼の射程に帰着する。木下古栗が小説とは所詮言葉によるつくりごとでしかない、という段階にとどまっているとするなら、松尾スズキは、そんなことを言う人間も所詮言葉を話す動物にすぎない、という認識を兼ね備えている。つまり、言葉と骨がらみになった人間は、どれだけナンセンスを言おうがそこから意味を紡ぎだすという確信がこの戯曲に出来事を招き入れているのだ。
 変速と意味の転換の精髄といっていい文芸のジャンルがあるとするなら、歌仙などまさしくそれにあたる。大岡信・岡野弘彦・丸谷才一による歌仙「鮎の宿の巻」(『すばる』)は、なくなりつつある歌仙というジャンルにとって貴重である。「挨拶も一言で足る鮎の宿/音なく移る軒の蚊柱」という発句、二句目の後、丸谷才一が「溝(どぶ)さらひ隣のためにあらずして」と転ずる。本人の言によれば、蚊柱から溝が連想され、溝から病気のもととなる水の滞りを防ぎ、下水を抜く工夫を論じた江戸時代の経世家海保青陵の一節が浮かんだという。歌仙がやろうと思ってもなかなかできないのは、こうした無駄な教養を惜しげもなくだすこと、或は惜しげもなくだせるような無駄な教養を蓄積することが困難なためであって、ごく俗でほとんど無意味なこの句と自己解説を読むと数十年かけて準備された壮大なナンセンスを早回しで見せられているような気がする。(文芸批評)







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