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評者◆杉本真維子
健康ランドはさみしい
No.2885 ・ 2008年09月13日




 深夜、友人と長電話していたら「健康ランドはさみしい」という話になった。ぼんやりとしか思い出せないが、私も子どもの頃に一度行ったことがある。家族連れで賑わう大広間やプールや売店、大浴場へとつづく通路の途中で、楽しいはずなのに急に胸の奥がさむくなった。和合亮一の詩の言葉を借りれば「・軋む肋骨で・大きな木が冷えていく・」という感じだ。もちろん一人でいたわけではなく、私もまた家族といて、決してさみしいと思う状況ではなかった。だからこそ、この体験は異物のように残るが、それを共有する人がいたことは驚きであり、うれしいことだった。
 記憶を辿ると、そこには体育館くらいのだだっぴろい仮眠室があり、うすぐらいなかで、多くの家族連れが、貸し出されたシートに寝転び、前方の大画面の映画を見ている(おそらく「釣りバカ日誌」か何かだろう)。私はそれをドアの隙間からのぞき見た。なんだろうここは。ときどき奇声を発する子どもがいて、スクリーンのまわりを駆け回っている。宴会場に行くと、それぞれのグループが酒盛りし、大人たちがほろ酔いの赤い顔で喋っている。その隣の家族は、むずかる赤ちゃんを囲んでおしめを取り替え、脇の通路を、タオルを首から下げた浴衣姿のおじいさんが移動する。それぞれの人が、それぞれの事情のなかで生きている、ということが、すとんと胸に落ちた。そのことが私には「さみしかった」のだろうか。
 けれども、意外な場所でも、これと同じさみしさに出合ったことがある。たとえば、靴を脱いで、てかてかしたフローリングに靴下であがるようなタイプの居酒屋。その脇には、木製のふだのような鍵がついている靴箱があって、その位置から、広い客席全体に視線を伸ばしたときも、それはやってきた。
「あれ? なんかここ健康ランドみたい。さみしい感じがする。」
「あ、なんとなくわかる、それ。」
 じつは、その居酒屋も同じ友人と行き、以前もこんな会話を交わしていた。大人になってから「健康ランド」という言葉を口にしたのはそれが初めてだったのだが、でもなぜよりによって居酒屋なのだろうか。そう思ったとき、「木製のふだ」から「銭湯」が、当然のように浮かんだ。
 誰でもそうかもしれないが、居酒屋の下駄箱で、木製のふだのような鍵を差し入れるときの仕草には、口にはのぼらずとも、脱衣場という蒸した空気のなかでの仕草を踏襲している、という感覚があった。くわえて、下駄箱というものは、脱いだばかりの靴が何足も仕舞われているのだから、その場所にはほくほくと、温かいものが見えないままに漂っている。だからその居酒屋には、湯や蒸気など、水という基体を彷彿させるものがあったのだが、もしかしたら、そのように水に近づくこと、もっといえば水の〝後〟の気配に近づくこと(浸かるのではなく)。そのことが、なぜか人間の身体にさみしさを与えるのではないだろうか。
「そういえば、プールから上がったあとも、さみしいよ。濡れた身体を拭いているときとか、その次の時間の授業中、やけにさらさらした腕とかも、なんか切なかった。」
「あー、それは思い出せない。ひたすら眠かった記憶しかない。」
 深夜の電話は、ここで話題が変わった。おしいところで枝分かれし、私は私であることを再確認しながら生きていくようだ。それから、「「昔話」とは何か」、「泣きながら闇から光を目指して?生まれてくるのだとしたら、逆子の場合はどう説明するのか」、「売れる前からファンだったことを自慢する人はいったい何を自慢しているのか」など考えなくてもいいことを延々と考え、健康ランドへ行く約束をして電話をきった。







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