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評者◆添田馨
メディアの世界性と詩の関係――「PLAYBOY[日本版]」9月号特集を読んで
No.2885 ・ 2008年09月13日




 詩を読むことは、同時にメディアを読むことだ。詩集だろうと雑誌だろうと新聞だろうとネットだろうと、事情は同じだ。小さくてもメディアはそれじたいが世界の断面だから、詩が生きのびていくフィールドもおのずとそこに集約される。詩を新たに生かそうとするなら、メディアという戦略はどうしても付いてまわる。そんな私の思いを増幅するように駆り立てたのが、「PLAYBOY[日本版]」9月号の特集「生きる意味を知る言葉 詩は世界を裸にする」だった。
 表紙にはモノクロ写真で内外の15人の詩人の肖像が並んでいる。詩をそれほど読んだことのない人でも、名前ぐらいは聞いたことがある詩人もその中にはいるはずだ。詩文学にとって極めて異質なこのメディア上に「詩」の特集が組まれることで、紙面がそこに何を見せてくれるのか、私はその点に関心をひかれた。登場するのは、ボードレール、ランボー、ギンズバーグ、ネルーダ、オーデンといった名だたる海外詩人に加えて、田村隆一や寺山修司といった日本の詩人まで、国籍も時代も言語もそれぞれに異なる多彩な書き手たちである。そしてたぶん私のそうした関心の裏側には、これまで見知ってきた詩や詩人たちの、まだ知らなかった別の顔を覗き見たいという無意識の欲求もあった。
 正直いって私のこの思いは、美しくレイアウトされた彼等の作品によっては果たされなかったが、一方、作品に添付された彼らのポートレートは初見のものがほとんどで、そのことが私をとても得した気分にしてくれたのである。まさしくそこには、彼らの“別の顔”がかいま見えていたからだ。
 読んでも得した気持ちになれないのなら、誰もそれを買わない。「PLAYBOY」誌上に載った詩は、マネーゲームを演出する通貨にその表情がとてもよく似ていた。すでにそれは文学以外のさまざまな価値と交換可能な何かだった。「詩」が流通していく際の不可避な形態について、私はここにひとつの暗示を見た気がした。詩がメディアの世界性にリンクすることの意味を、こういうところを起点に考えていくことは、私には決して無益とは思われない。







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