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評者◆杉本真維子
話す
No.2882 ・ 2008年08月16日




 先日、地元・長野県の詩の会に招かれた。会場のなかにひとり、私と話したくて来た、と言う50代くらいの女性がいて、最近、新聞に書いたエッセイに共感し、では詩集も、ということで買い求め、読んでくれたという。エッセイのタイトルは「詩を書くということ~ほんとうのものに届きたい」。そこで私は、紋切り型の言葉から零れ落ち、捨てられた何か(あるいは感情)のほうに、「ほんとう」はある、というようなことを書いた。そしてその内容には、「誰かに理解されたい」と受け取れるようなニュアンスがあった(そのことは自分でも承知していた)。
 ところが、朗らかに質問していた女性の、声がだんだんと硬くなり、表情もこわばっていく。どうしたのだろう、と思った瞬間、怒りにふるえているのだとわかった。そして、ほとんど泣きそうな顔で、私にこう言った。
 「はっきりいって腹が立つほどわからないんです。この腹立たしさは自分に対するものかもしれませんけど。過去の受賞詩集も、現代詩の雑誌も、片っ端から読んでみましたが、どれも難しくてさっぱりわからない。他人から理解されたいなんて、あなたはじつはこれっぽっちも思っていないんじゃないですか!」
 こんな言い方をしたら失礼なのだけれど、爽快だった。そのとおり、理解されたいなんて思っていないのかもしれないが、一方で、それは大きな誤解なのだ。「鋭いご批判だと思います」、まずこんな言葉が口から出たが、言ったあとで、この冷静な響きがいやだった。ちっとも冷静ではないのに、まじめに答えようとする言葉はどんなものでも冷ややかになる。こんなときは声を荒げて怒鳴り返すのがもっとも適した返答だと今になって思うが、そんなこと、できない。
 ではどうしようかと、小説を引き合いに出して、人間対人間、人間対世界という切り口で、喋ったりもしたが、何の役にも立たなかった。私たちは、会を終えたあとも話し、歩きながらも話し、会場の外のソファでもまだ話しあっていた。そのうち、「詩と祈り」の話題へと移っていった。
 「私はあまり祈ることをしたことがなかったのですが、それは祈ることを怖がっていたからだと気づいたんです。たとえば、神社などへ行って、こころをはだかにして、神様に見せる、それは包み隠さずにこころをぜんぶ差し出すということだから、祈ることはたいへん勇気がいることです。受けいれてもらえなかったら怖いという気持ちも、祈りによって乗り越えなければならない。そしてこうした矛盾は、言葉にならないことを言葉によって書く、という詩にもいえることで、なにより、祈るときも詩を書くときにも、両方とも、〝はだか〟なのですよね。」
 何の質問に答えたのか、私はそんなことを喋りながら、心の奥に小さな火を感じていた。理解されたいのだろうか。すると、予想外に、女性は「よくわかります。私は本音を知られないように詩を書いている、私のほうが閉じている、ということもわかっているんです」と言った。きゅうに意見が合致したことで、罪を犯したような気持ちになりながら、本音を知られたくないというのもまた本音ではないか、と私は思ったが、のみこんだ。それからしばらく黙り、そろそろ行きますよ、という主催者の号令がかかるまで、私たちは話しあっていた。







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