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評者◆添田馨
過剰に深く問う者だけが手にできる……――岸田将幸『丘の陰に取り残された馬の群れ』(ふらんす堂)
No.2882 ・ 2008年08月16日




 秋葉原で起きた無差別殺傷事件の生々しい映像は、まぎれもなく、いつもの見慣れた街に生じた真空の裂け目だった。「死傷者が横たわり、人々が走り、人々が群がる白昼の秋葉原の「街頭」は、もはや歴史の何にも似ていない。」――「現代詩手帖」7月号の時評欄を、稲川方人はこう締めくくっている。ここには明らかに事件が喚起したものへの深い動揺が読み取れた。いわばそれは遍在化した「無」への恐怖のような心象だろうか。
 私はこの一文を読んで、2004年11月に都内某所で開かれた詩のシンポジウムの会場での出来事を唐突に思い出していた。稲川氏自身もパネラーを務めたその催しの終盤ちかく、会場で若手詩人Kが投げかけたある質問のことである。イラクで人質となった日本人青年が首を切断されるネットの映像に衝撃を受けたと彼は述べ、「われわれは詩にまだ何か期待できるのか」と問いかけたのである。その時稲川氏は、事件と詩とを並列に論じることを明確に拒否するスタンスを示した。しかし今回違っているのは、稲川氏がその時突きつけられた問いを、いわば内側からの問いとして改めて自分自身に差し向けている点だ。
 過剰に深く問う者だけが手にできる表現の回路のようなものは、間違いなく存在する。詩人Kもあのように問いかけた以上、その後は自ら実作でそれに答えていかねばならなかった筈だ。稲川氏は岸田将幸の詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』(ふらんす堂)が、今回、自分にとって強い「救い」になったと同文中で書いている。「人格とは他者の殱滅において自己を主張するのであり、非人称を前提として自らを育む。」(「歩く太陽黒点への手紙」より)――Kとは岸田氏のことである。例えば実弾のように撃ち出されたこの一行は、4年前のあの問いかけから発して、作者と批評者とのその後の関係にも発火性の化学変化を呼び起こし、ついに情況の深部で共鳴させるに至った稀有な一行たりえたのではないか、と私に確信させるのである。







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