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評者◆野添憲治
日鉄北海道鉱業所ほか――北海道虻田郡京極町
No.2882 ・ 2008年08月16日




 富士山を思わせる山容からえぞ富士とも呼ばれる羊蹄山の近くで倶知安鉱山(北海道虻田郡京極町)の鉱床が見つかったのは、一八九八年だった。発見者は京極農場の小作人だが、鉱山の開発には多大の先行投資を要するうえに長期間かかる。そのため、個人では経営が困難なので、鉱業権が売買されることが多い。倶知安鉱山もその経営が橋本組から五社も代わり、日鉄鉱業所(株)の所属になったのは一九三九年だった。日鉄では北海道の総元締として北海道鉱業所を当所に設置し、倶知安鉱山の能率化と出鉱量の増産を図った。しかし、太平洋戦争に突入すると軍需省から要求される鉄鉱石の生産量はさらに高まったものの労働力が不足した。北海道鉱業所では「社員を遠く朝鮮半島に派遣し、労務者の募集」(『京極村史』)をした。だが、倶知安鉱山に朝鮮人連行者が何年から来たのかは、史料がないのでわかっていない。日本が敗戦になった一九四五年八月一五日現在で、一三の寮に一〇〇四人の朝鮮人がいたと『京極村史』に載っている。この時点で日本人は六六九人、中国人連行者が五六五人だったというから、鉱山は朝鮮人の労働力で操業されていたといっても過言ではない。それでいながら死者の数もはっきりしていない。それでも労働力の不足した鉱山が、朝鮮人の次に求めたのが中国人連行者だった。
 倶知安鉱山で鉄鉱石の採掘を請け負っていたのが川口組脇方出張所で、主に露天掘作業をしていた。川口組は三〇二人を契約したが、青島収容所から連行中に脱走などで一〇人が減員となり、二九二人が青島を出航したのが一九四四年六月九日。船中で一人が死亡したので、脇方出張所に二九一人が到着すると、鉱山社宅の外の左沢につくられた川口組中華寮に収容された。
 川口組のほかに、日鉄北海道鉱業所でも中国人連行者を使用した。三〇〇人を契約して塘沽収容所から連れて来ると、川口組より少し遅れた一〇月二三日に青島から出発して下関に上陸し、全員が倶知安鉱山に着いたのは一一月一日だった。中華寮に収容されたが、北海道は真冬であった。寮とはいっても粗末なバラック建てで、板と板との継ぎ目から、寒風と一緒に雪が入ってきた。夜中に風が吹き荒れた朝は、寮の中が雪で真っ白になっていたという。しかも、寝具は毛布一枚で、広い部屋に小さいストーブが一つなので寒さにふるえた。何人も抱き合うように寝て、寒さから身を守った。この寒さの中で、インフルエンザ肺炎や急性肺炎などで、多くの中国人が死亡している。
 中国人たちの大半は、露天掘の現場で働いた。鉄鉱石を掘ったり、鉱石を積んだトロッコを押したりした。作業そのものは熟練を必要としなかったが、吹雪の中で長時間の労働は骨身にこたえた。当時、鉱山主婦の会の会長をしていた永田よしが、次のように回想している。
 「戦時中は増産のため朝鮮から募集して来た労務者と、中国人の捕虜とを三交替で日夜通しの作業でした。朝鮮人寮は社宅区域内に十数ヵ所あり、中国人は社宅外の左沢の奥に大きな収容所があり、規則正しい生活と作業のようでした。食糧運びに出て来たのを見た事がありました。長い列の五〇mぐらいずつに監視人がついて、二人一組でモッコかつぎで滑らないように、防寒靴の上にワラジをはかせていました。綿の入った特殊な衣服、雪焼けのした顔にヒゲが伸び、異様に輝いているようでした。この人たちにも妻や子もあるはずと、哀れな姿に涙ぐみながらながめたものでした」(『追悼京極町史』)
 炭鉱とは違って露天掘なので、ガス爆発や落盤はなかったが、切羽の崩壊やハッパなどの事故が多発した。その危険についても脅えながら働いたが、それと同じに苦しめられたのが食糧不足であった。食事はイモ・マメ・カボチャなどが半分と、コメが半分混ざった飯が丼に軽く一杯だった。あとは塩汁とたくあんのほかに、ホッケの腐ったようなものと、オットセイの肉がたまに付いた。その肉も臭くて食えたものではないが、腹が減っているので全部食べた。そのため、腹を病む人が沢山出たが、薬を求めても配られず、でん粉の粉を飲まされるだけだった。下痢が続き、体がやせ細っていった。
 川口組脇方出張所には二九一人が来たのに、日本の敗戦で帰国するまでに二六人が死亡している。日鉄北海道鉱業所には三〇〇人が連行され、一一人が死亡している。事業所側の死亡診断書によると、倶知安鉱山の中国人死亡者三七人は全員が病死で、事故死は一人もいない。危険な現場で日本人や朝鮮人の死者が多いのに、中国人には死者が出なかったというのは不思議だ。病死者は火葬のあと、遺骨は村内の瑞法寺と西寺に保管され、生存者が帰国した時に持ち帰ったという。だが、一九五三年に北海道慰霊実行委員会が調査した時には、「会社焼失のため詳細資料不明」と答えたことが資料に残っている。敗戦後に、中国人を強制連行した事業場はよく焼けている。







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