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評者◆蜂飼耳
最高気温
No.2882 ・ 2008年08月16日




 となりの家から自分の家へ、こっそりコードを引いて電気を盗んだ男が、捕まった。暑くて、扇風機を回そうと思ったらしい。男の家の電気は、止められていた。そんなニュースを、思い出しながら油照りの坂道を歩く。
 この暑さでなければ、もう少し過ごしやすかったら、男は盗まなかっただろうか。いや、盗んだだろう、いずれ。冬は冬で、寒いという理由で。そうでなくても、テレビをつけたいとか電子レンジを使いたいとかいう理由で。それ以前に、室内の照明はどうしていたのか。いや、そんな考え方はおかしいのだ。仮定はいつでも、仮定に過ぎない。
 暑くて、坂道に引かれた白線が曲がっている。途中にある一本の樹が、真夏だというのに、葉の一枚もつけていない。知らないうちに、立ち枯れていた。
 枯れた樹は、吐き出すべきものをすべて、内側に籠もらせている。気温の高さとは無関係に、暑苦しい。その樹は桑。昨年まで実をつけていた。新芽のころには毎年、うるわしいものとして見上げて通り過ぎたのに、枯れたいまは、遠ざけるように、そばを抜けていく。だから、その樹だけに、気もちが映る。
 みみずが、どういうわけか、炎天下の歩道へ出ていることがある。土を探してのたうつ。いくら進んでもアスファルトだから、やがては灼け死ぬ。みみずを、落ちている棒の先に引っかけて、土のあるところへもどすときもあるけれど、いつもいつもというわけには、いかない。跨いで過ぎることもあり、そうすると一日、気分が悪い。出てくるみみずの方が愚かなのだ、自分には責任はない、などと考えると、さらに気分が悪くなる。翌日、乾いたみみずに遭遇することを恐れながら同じ道を通る。みみずはいない。大抵、鳥に食べられて跡形もない。ほっとする。それはほとんど、すがすがしさに近い。そのことに腹が立つ。
 骨が一本折れた日傘を、かぶるように差していた。一本折れただけでも駄目なものだと、修理の店へ持っていく。「直りませんよ、これは」。どうして折れたのか理由を訊かれたわけでもないのに、「風の強い日に」と、言い訳をする。返されたものを黙って受け取り、頭巾をかぶるようにまた差す。傘の縁には、ぐるりと、薄い素材が使ってある。雨傘にもなると書いてあったけれど、この縁ならば水を通してしまう。雨の日には一度も差さなかったと、壊れてから、過ぎ去った事柄に気づく。
 ひまわりがいっぱい生えている空き地を通る。蕾のうちは太陽に合わせて首を回す。開けば、回すのをやめる。それぞれの角度で、うつむき、強情に立っている。そろり、と動く人影があって、見ると、杖を突いている。白い杖を突きながら歩道を辿る人は、目が見えないようだった。杖の先が、地面から離れてはまた地面へ下ろされる。からだは杖についていく。その人は、自分がいま、ひまわりの咲く空き地の脇を通っていることを、知らないのだ。咲くものは咲き、過ぎる人は過ぎていく。そのすべてを、強い光が、無関心のまま映し出していた。
 黒い日傘の内側から振り向いたときには、白い杖の人はもうひまわりの空き地を過ぎていた。ひまわりを過ぎて、パチンコ屋の轟音のなかを、そろりと歩いていた。ひまわりの群れは、少しも進まないまま、たくさんの種子をふくらませる。種子の縞模様が徐々にあざやかになっていく。黒と白の縞模様が、牢獄の格子のように、時間を閉じこめていく。
 陽炎が揺れる。ふと思い出した人が、もうこの世にいないのだと気づいて慌てる。いまさら慌てても、遅いのに。太陽はいくらでも照らす。光の手で曖昧さを握り潰し、なにかを強引に決定しようとする。壊れても、日傘は日傘だった。その陰にいて、光の為すことを見ていた。速い脈に似た揚羽蝶が、飛び方を確かめる。燃えるように、消えていく。







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