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評者◆秋竜山
「伊豆の踊子」は小説だった!、の巻
No.2879 ・ 2008年07月26日




 「ワッ!! ビックリした。これでもいいのか」と、いう問いに「これでもいいのだ」と、いう答がでる。まるで表紙のために並べられてあるといっていいだろう。文庫本。劇画の文庫か。と、思って中身をパラパラ。違う、活字だらけ。その一冊に川端康成『伊豆の踊子』(集英社文庫、本体五七一円)がある。表紙画のイラストレーション=荒木飛呂彦とある。伊豆の踊子が描かれてある。劇画風による踊子の画だ。こんな伊豆の踊子のイメージ画って今まであったか。画家はシュミとして描いたりするだろうか、それを印刷物として、ましてやノーベル文学賞作家・川端康成の小説ともなれば、勇気がなくてはできるものではない。本書の表紙がそれだ。読者はビックリする派と無関心派にわかれるだろう。ビックリ派は、まずビックリして、続いて読んでみようという気になる。もしかすると、ビックリ小説に変わっているかもしれない!! と、いう馬鹿げた期待感を持つ。そういうことは馬鹿にできないことであって、その作戦にひっかかる読者もいるからだ。私なんか、その口である。このアイデアが成功すれば、すべての文庫本が劇画のイラストに変えられるかもしれない。面白いことだ。伊豆の踊子は、自分が伊豆で生まれ育ったせいか、特別の想い入れがある。どっちかというと小説より映画化されたもののほうが強くある。戦前に映画化された田中絹代の踊子役のものから、すべての映画は観ている。美空ひばりの踊子がよかった、現代娘というか、変な古くささがある昔の娘のように思えた。自分の生まれていない伊豆の風景や人物が描かれているということは、自分の生まれる前にも伊豆は確実にあったんだという、生まれる前のなつかしさのようなものを感じさせてくれるものである。そして、「そーかなァ!! そーいうものだったのかなァ……」と思わされるのが、
 〈途中、ところどころの村の入口に立札があった。――物乞い旅芸人村に入るべからず。〉(本文より)
 という個所である。私の子供の頃には、そんな立札は無かった。見たことも無かった。それでも子供の頃は隣り村の子供たちと村の境の所で出会ったりすると、すぐ石をぶつけあうケンカになったものだった。この伊豆の踊子の小説で私がもっとも不愉快になるのは、茶屋のばあさんのセリフだ。
 〈「あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那さま。お客があればありしだい、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」はなはだしい軽蔑を含んだ婆さんの言葉が、〉(本文より)
 伊豆の人がみんなそんな風に思われては困る。と、いうことだ。
 〈「あんな者、どこへ泊るのかわかるものでございますか」とさげすまれている旅芸人の中の踊子の美少女にひかれ、恋し、一緒に旅する。もの好きと言ってよい。しかしさげすまされ、しいたげられた者たちの中にある美しいもの、自分を縛っている社会制度や格式のいつわりの世界と違う素朴なひなびた、しかしもっとも自然で美しいものに接したい、(略)そこに身分を捨ててとびこみたい心情、それが「伊豆の踊子」のモチーフである。〉(解説・奥野健男)
 そーだ!! これは小説だったんだ。あまり不愉快になることもないのだろう。







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