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評者◆稲賀繁美
地理学的想像力から地学的想像力へ──酒井直樹氏の講演「翻訳と地図作成術的想像力」を聴いて
No.2879 ・ 2008年07月26日




 翻訳者translatorとは、いかなる存在か。それは移行途上の主体subject in transitだ、と酒井直樹は主張する。主体subjectとはしかし、subjugationと密接に関わる。なぜなら(これは評者の私見だが)訳者は翻訳すべき原文を「征服」すると同時に、原文に「服従」し、また届け先の言語にも「屈服」しつつ、この両者からの軋轢を不断に「克服」するからだ。その意味で翻訳は三重のsubjugationを経験する営みだ。「主体」がまた「下に置かれたもの」という両義性を含むことは、西洋哲学史、そしてキリスト教神学理論の常識だろう。
 この過程で翻訳者は不可視invisibleにして透明transparentな存在となることを要求される。原語と翻訳結果との間にはいかなる障害も出来せず、あたかもそこには微細な抵抗すら存在しないかのように、完璧な言語的流通を達成する――それが、翻訳の理想と想定されているからだ。
 だがここで翻訳者に要求される透明性が虚構であり、まやかしにすぎないことは、当事者なら痛切に感じているはずだ。事実問題として、翻訳はいかようにも可能だが、権利問題としては、いかなる翻訳も、誤訳の可能性から免除されてはいない。すでに語彙の置換の水準で、意味の齟齬が必然的に発生する以上、鸚鵡返しの複写以外には、原理的にいって等価性の保証はなく、等価性の欠如は、ただちに誤訳との指弾を蒙り兼ねない。あらゆる翻訳行為は、こうした指弾を原理的に回避できない危機を内在させている。だからこそ、翻訳主体はsubject in transit過渡的主体の不安定さを、本性的に抱えている。
 だが、鸚鵡返しの複写では、あたかも映像が鏡に反射して送り返されたのと同様で、意味理解が成立したのかどうかを言語的に確認する術もない。逆説的にも、意味の了解が成立したことを確認するためには、鸚鵡返しからは逸脱した、異文による応答が不可欠となる。すなわち、忠実さは逸脱なくしては、己が忠実さを測定できない。この、考えてみれば、著しく倒錯的な許容範囲のなかで、翻訳者に透明かつ不可視であることを要請する倫理は、従って、きわめて抑圧的であり、それが政治的な体制 regimeすなわち社会的に公認された政治的選択の問題であることは、まさしく酒井直樹の主張するとおりだろう。
 さて、いわゆる全球化globalizationによって、非国際的少数言語による文学が、英語を中心とする国際的流通言語によって駆逐されている現状がある。国際的作家となるためには、英語による流通市場に乗ることが不可欠であり、地域言語特有の表現や文化習慣に依存した地域文学は、世界文学からは淘汰されてしまう。世界に流通することの代償に、希少言語による原典は、かえって不可視な存在へと隠蔽されてしまう機構が働いている。酒井直樹は、翻訳者に要求される透明性の議論と、翻訳原典が不可視の存在へと追いやられる現象とを、直接に重ね合わせて論じようとしているように見受けた。酒井はフーコーにあやかって、この両者を、瓦状にずれた重畳状態imbricationとして把握することを提唱する。だが、この重ね合わせには、理論的に見て、いささか無理があるのではなかろうか。
 酒井の議論は、国際関係論における主権国家の領土問題の比喩によって、翻訳の問題を、平面的な地理学的geographical(酒井の用語)な構造に重ね、地図作成術的cartographicな陣取り合戦に収斂させようとする。だがそこで実際に酒井が問題にすべきなのは、国際的な流通の次元と、地域的な流通の次元とを垂直に重ね合わせた地層間の位相差topological gapに由来する、褶曲と断層そして変成の問題なのではないか。酒井直樹の提唱する地理学的想像力geographical imaginationにかわって、地学的想像力geological imaginationの政治学こそが、いま要請されているのではないか。そしてそうした言語地層の位相差問題が隠蔽され、不可視になってしまうところに、北米移民社会における全球化globalizationに関する議論の、不可視なればこそ、最大の問題が孕まれているように見受けられる。本件については、さらなる議論の「積み重ね」が必要だ。
*2008年4月8日、北米UCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)における酒井直樹の講演に際して、会場で即興に加えたコメントに基づく。講演内容はNaoki Sakai, Translation&Subjectivity,1997の延長上の思索。とりわけ同書P.197の註で、酒井は、西田幾多郎の場所論における述語論理とプラトンの『ティマイオス』のコーラを巡る議論に結びつける。この論点については、また場所を改めて検討したい。刺激的な討論の機会を提供された酒井教授、講演にお招き下さった、Michael Marra教授に謝意を表する。また同書に含まれた論文は『思想という問題』(岩波書店、1997)に再編成・相互翻訳を経て、収録されている。







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