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評者◆杉本真維子
砂と眠り
No.2879 ・ 2008年07月26日




 ある明け方、どうしても当日便に間に合わせたい書類があり、配送業者を探していると、一件だけ、大丈夫ですよ、と頼もしい返事をしてくれるところがあった。「朝10時45分までに持ってきていただければ」。時刻はすでに6時。ほとんど眠る時間がなくなるのがつらかったが、とにかく行くしかないので、電車を乗り継いで出かけていった。
 南砂町。地下鉄東西線で日本橋からさらに千葉方面へ10分くらいのところで、都心からそう遠くはないのに、景色がまるで違っていた。地上を出ると、子どもの背丈くらいの草が生え、その向こうには、コンビナートを思わせる広大な敷地がひろがっていた。巨大な倉庫と、トラックと、潮のかおり。飛行場を囲む緑色の柵から、白い滑走路をのぞいたときの気持ちに似ている。時々建物からまばらに人が出てくるが、人影がよぎるといったほうがよく、高層マンションが立ち並んでいるものの、人通りはほとんどない。でもたしかにいる。そこで生活している。そんな気配だけがたちこめていた。
 一件だけ、というのは、佐川急便のことで、その日は江東区営業所へ行ったのだが、近所に点在するような小さな営業所を思い浮かべていたので、驚いた。町ごと佐川急便になっている、いや、ほかの業者の建物もあったのだが、とにかくそんな印象が強く、小学校の体育館を10個くらいつなげたような敷地と建物が、あちこちにいくつもある。
 手荷物はここでいいのですか? 最初に訪れた建物で、警備員に尋ねると、間違える人がたくさんいてもううんざりだよ!というように、ここでは一切受け付けておりません、と「一切」のところに力を込めて言われた。仕方ないので、自分で電話してみる。すると受付所はそこから徒歩5分くらいのところにあったのだが、なんと私の聞き間違いで、当日便の締め切りは9時45分、もうとっくに終わっていたのである。
 そういえば、9時45分と聞いたおぼえがあるのに、どこで10時45分に変換されてしまったのだろう。耳に「希望」を入れてしまった。少しでも眠りたい、一時間でも、という気持が、そのまま一時間遅れで頭に記憶させたらしい。
 なんだったのだろうか。眠気でふらふらした足取りで、ホームに立ち、南砂町、という表示を見つめていた。ここはむかし砂だったのだ。南だから、ほのかに明るい感じもする。そのうち、電車がきて、茅場町駅で、地上へ出た。なんとなく、身体に光が入っている、という奇妙な感覚があった。
 その日は午後から会社に行かなくてはならず、時計を見ると、出勤時間まではあときっかり一時間余っていた。この一時間は、さっき足りなかった一時間だろうか。陽気がいいので喫茶店に入る気にはならず、とにかく少しでも眠りたい一心で、歩きはじめた。でもなかなかその場所が見つからない。そのうちひたいに汗がにじみ、視界のふちから、ビルがやわらかくくずれていく。砂……、まるで前髪に砂がふりつもるような眠気である。そのとき脳裏にうっすらと、小さな動物のように、四つ足でひたひたと橋の下の日陰へ降りていく自分がみえた。私はいま橋の下にむかっている、橋の下で眠りたいと思っているんだ、そのことに、静かにおどろいていた。
 
 







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