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評者◆秋竜山
浮世絵=謎絵?、の巻
No.2878 ・ 2008年07月19日




 原信田実『謎解き広重「江戸百」』(集英社、本体一一〇〇円)のたのしさは、広重の「名所江戸百景が、葉書大のページではあるが、すべてカラーであるからだ。これだけ小さくすると、見のがしていた部分が、見えてきてしまうものだ。小さくなるから見えなくなるというものでもないようだ。江戸百の面白さは絵の構図だ。本書は絵に謎があるというが、私はまず構図をたのしむ。
 〈近景にその場所のシンボル、遠景に関心の対象を置くという、「江戸百」の構図の原理が、ここでも守られていると考えるのが自然であろう。広重は、この連作において、実際の景色を見たままに描くというよりも、とくに大写しの近景の構図を使って絵を制作している場合には、画面の構成に注意をそそいでいると考えたほうが納得できる。広重の絵の描き方は構成的である。絵を見た者が、「見たままに描かれている」と実感できるように工夫をしているのである。〉(本書より)
 大写しの近景の構図は、これでもかというような大胆さがある。遠景が、これまた大胆というか小胆というべきか、あまりにも小さく描かれてある。目に見える遠くはこれ限りともいうべき小さな景色だ。本物よりもきょくたんに小さく描かれてあるかもしれない。つまり、近景と遠景が共にきょくたんに描かれてあるから、目に見える風景というよりも、絵に見える風景といったほうがよいだろう。そう思いながら実際に風景を眺めてみると、目に見えるというより、絵に見える風景のように見えてくる。もう広重の絵に犯されてしまったようだ。どの風景も広重流風景になってしまう。今の東京は遠景が見えなくなってしまい近景だけになってしまったようだ。やっぱり風景というものは近景よりも遠景のほうがミリョクがある。遠景を眺めたい。そのために双眼鏡などで遠景をのぞくのだろう。遠景の見えない部分は見えないままでよいだろうが、そーはいかない。何があるか見たいのだ。
 〈大写しの近景という構図を採用している場合には、近景の図像は場所のシンボルと考えるべきなのである。鷲といえば冬の海辺、宿場といえば馬、大幟といえば住吉明神の祭りに決まっているからこそ、広重は近景に大写しを持ってきたのである。〉〈「江戸百」が単なる名所絵ではなかったこと、ニュース性やメッセージ性を帯びた連作であることが明らかになってきた。浮世絵が、浮世の今を描く絵であるとはいえ、ニュース性を帯びるようになったひとつの理由は、新しい時代へ向けてのうねりが挙げられる。〉(本書より)
 江戸百に当時のニュース性が秘めているとなると、単なる単純な風景画として見ることができなくなってしまう。ゴッホが「亀戸梅屋舗」の絵を模写している時、この絵に謎がかくされているなどと考えたとは考えられない。もしかすると、浮世絵のすべてに謎があるのかもしれない。そう考えると、今までのようにボンヤリと浮世絵を眺めていられなくなってしまう。浮世絵を謎絵とよびたくなってくるのである。サア!! どーしましょう。







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