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評者◆添田馨
不可能性の時代における現代詩は──現実におけるインパクトと、詩集を対象とした文学賞の隆盛
No.2877 ・ 2008年07月12日




 現在は、不可能性の時代だという。これは社会学者の言いぐさだが、詩に関してもある部分それがあてはまると思える時がある。たしかに毎日どこかで詩は書き続けられており、その数もけっして少なくはないだろう。だが、現実におけるインパクトの強さとしてはどうなのか。例えば新聞の匿名コラムほどの力を現在の詩の多くが持ちえているとは、私には到底思えない。詩が不可能性のなかにいまあるとすれば、それは現実に対して自らを異和させる言葉の強度を、詩が自分だけの力で獲得することが非常に難しくなっているという点に、もっとも集約させることができる。
 だがこのような現状とは裏腹に、一方では詩集を対象とした文学賞というものが以前にもまして隆盛を誇っている。よく知られたものとしては、高見順賞、萩原朔太郎賞、中原中也賞、土井晩翠賞、H氏賞、現代詩花椿賞…等々。これら対照的なふたつの現実は、いったい何を物語っているのだろうか。ひとつにはこうした文学賞が、詩を元気づけ、詩に社会的なパワーを授けるためのオーソライズされた装置として、有効に機能している側面があげられるだろう。反面、それは書き手としての詩人を差別化する制度として、文学とは関係のないステータスを選ばれた者に対してのみ華々しく付与するという現世的な標章(エンブレム)としても、有効に(?)機能してきた。
 ところで高見順賞の選考委員のひとりである松浦寿輝は、今回の受賞作決定までの過程を振り返って「近来になく爽快な体験」だったと述べている。(高見順文学振興会会報「樹木」Vol.26)五人いる選考委員どうしの討論が「互いの詩観と歴史観と状況認識を本音でぶつけ合った」徹底したものであったというのが、その理由である。いまどき同人誌レベルでさえ、こんなことはやらなくなった。このように文学賞の側がさらに一歩も二歩も踏み出して、詩作品への信頼できる評価の可能性のほうに傾いて行けばいくほど、賞とは無縁のもっとずっと大きな世界において、詩の不可能性のほうも逆に一層深まっていくのではないかという危惧が、私を襲うのである。








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