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評者◆秋竜山
「もっと観たい」というぐらいが、の巻
No.2876 ・ 2008年07月05日




 どっちもカッコイイ。武智光秀は井戸の中から。稲叢から定九郎。どっちも妙なところから「あらわれいでたる」のである。歌舞伎の名場面である。最初から、そこから、あらわれるのがわかっているから、期待して待っていると、うらぎることなく、その通りにあらわれてくれる。「待ってました」と同時に「ありがとう」ということになる。子供の頃は武智光秀のマネをしたものだ。だからといって井戸の中からあらわれるなどキケンなことはしなかった。竹ヤブの中からであった。子供には武智のカッコよさはわかったが、定九郎のよさまではわからなかった。大人になってからである。むしろ武智よりも好きになってしまった。もし歌舞伎の中でやってみたい役としたら、まず「定九郎」だろう。役者も定九郎役をみごとに演じきれたら一級の役者といわれてもよいのではないかと、定九郎ファンとしては思っている。寺田博『時代小説の勘どころ』(河出書房新社、本体一六〇〇円)では、〈一章、時代小説の探究〉の中で〈中村仲蔵のこと〉がとりあげられている。江戸の歌舞伎役者、中村仲蔵であり、定九郎の演技をあみ出した役者として有名である。
 〈中村仲蔵という役者の存在を知ったのは映画である。昭和二十七年、まだ戦後の様相が漂う街で、嵐寛寿郎主演の「あばれ熨斗」(大映)という映画を観た。(略)それから数年たって、同じく中村仲蔵の定九郎が劇中劇になっている時代劇を二編観る機会があった。一編は、鶴田浩二主演の「此村大吉」(昭和二十九年、大映、脚本・監督=マキノ雅弘)で、もう一編は市川右太衛門主演の「朱鞘罷り通る」(昭和三十一年、東映、原作=山中貞雄、脚本=三村伸太郎、監督=河野寿一)である。二編ともそれぞれに、定九郎の役づくりに苦心する仲蔵の挿話が取り入れられているものの、仲蔵が主役ではなく、仲蔵が雨の日にたまたま出くわして、扮装や所作を模倣することになった一人の旗本、此村大吉が主役になっていた。〉〈数年前に偶然テレビ中継で中村吉右衛門の定九郎が出ている五段目「山崎街道の場」を観て、釘づけになった。扮装は仲蔵と同じだが、朱鞘は黒鞘になっていた。何より目についたのは山賊らしい隈どりの顔を自在に動かして、与市兵衛を殺して強奪した金子を、ふところ手のまま勘定するのだが、その表情の繊細な表現力に目を奪われた。〉(本書より)
 私もテレビで観ている。定九郎は無言劇(パントマイム)だからよいのであって、ペラペラ喋ったら、舞台上にただよう異様な空気が出るかどうか。ところがある本によると、昔、セリフをいう定九郎もあったそうだ。そして、花道から出てきたそうだ。今はパントマイムと決っているようだが、またいつか、別の定九郎を演出する役者があらわれたりしたら、面白いだろう。「やっぱり定九郎は喋ってはいけません」とか、「稲叢から出なくては定九郎らしくない」なんていっていられないくらいの別の定九郎があらわれたら拍手でむかえてあげたい。定九郎の舞台での名演技も数分である。もっと長くしてほしい!! なんていうべきではないだろう。長ければよいというものではない。だからといって短かければよいというものでもないだろう。「もっと観たい」と思う時間が、ちょうどよい。







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