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評者◆秋竜山
笑いは力なり、の巻
No.2874 ・ 2008年06月21日




 いくら笑えといわれても、笑えないものを、どうしようもないだろう。それでも、笑え!! 身体にいいんだから。最近、笑いというものを病院などでとり入れはじめたそうだ。患者を笑わそうというのである。笑うことによって病気をなおすってこと、できるだろうか。もし、できるとしたら、「笑い薬」をつくって飲めばよい。高柳和江『笑いの医力』(西村書店、本体952円)を読む。笑いという活字を眼にしたからには、黙っておれない。漫画家という職業グセからだ。他人事ではないからだ。
 〈とりあえず笑ってみよう。おかしくなくても笑えば、何で笑っているのかわからなくなって、次第におかしくなってくるのが、笑いの不思議なところだ。あくびと笑いには感染力があるが、人から人へ感染するだけではない。自分のなかでも、笑っているうちに笑いの「どつぼ」にはまって、笑いが止まらなくなることもある。型から入る笑いは、朝晩の鏡に向かっての笑いから、笑いヨガ、笑い体操、いっぱいある。〉(本書、はじめに――何があっても笑い飛ばせ)
 笑いというものは、絶対によいものなんだろうか。信じてもよいものなんだろうか。何を笑うかであるが、そんなことはどーでもよいことで、とにかく笑うことだ。おかしくなくても、ウソ笑いの型から入った笑いをやっている内に、ホント笑いになってしまうもののようだ。毎日の散歩がいいという。足をつかうこと。歩きながら笑う。笑いながら歩くでもいい。いいことづくめだ。本書で面白いと思ったのは、〈笑いの実行篇〉である。〈能動的な笑い〉は〈自ら何かをすることによって笑いをつくり出す〉。
 〈ある本によると、聖書のなかにはイエス様が笑ったという箇所が一つもないのだそうだ。ナチの収容所の公式文書には「殺す」という言葉は一箇所だけしか書いてなくて、それはのら犬を殺す「殺せ」だったという。つまり逆説的に言えば、キリストは笑いすぎたために、聖書にわざわざ「笑い」を書かなかったのではなかろうか。キリスト教者のキリストに恋をするような瞳、ぽっと赤くなる頬はまさしくスピリチュアルな笑いそのものだ。
 ・神様はあなたの口に笑いを与え、次にその唇に喜びを与える。(ヨブ記)
 ・あなたの口を広く開けよ。わたしはそれを満たそう。(詩篇)〉(本書より)
 聖書のなかにはイエス様が笑ったという箇所が一つもないのだそうだ、ということは、聖書以外のどこかで笑ったという箇所があるのだろうか。イエス様は一度も笑ったことがなかった。もし笑ったというならば、どういう所で、何を笑ったかということになる。と、なれば、これは大問題となるだろう。笑いというものは大問題をふくんでいるということだ。笑いという意味においてである。もし、イエス様がたえず笑っていたとしたら、たとえば七福神の一人である布袋様のように、何を笑っているのかわけのわからない、ただ笑ってばかりいたとしたら……。布袋様が「俺のマネすんな」というかもしれない。「そーだ!! 俺は笑うことを忘れていた」と気づいたら、本書を読んでベンキョーしよう。笑いは力なり。







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