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評者◆野添憲治
日本発送電御岳発電所――長野県木曽郡王滝村ほか
No.2874 ・ 2008年06月21日




 国策会社の日本発送電株式会社は一九四二年に、長野県の木曽川水系に御岳発電所の建設工事に着手した。この工事は軍需省から「戦力増強工事」に指定された、緊急を要する工事だった。
 この御岳発電所は、JR中央本線木曽福島駅から西北約一二キロの山中につくるもので、長野県木曽郡王滝村、旧三岳村、旧開田村(現木曽町)の三カ村にまたがる大規模なものだった。工事は鹿島組・間組・飛島組の三請負業者の手でおこなわれた。三業者は一七四一人の中国人強制連行者を使用して一六二人の死者を出したほか、失明者など多くの身体障害者をだしていることでも特筆される。
 鹿島組御岳作業所では一九四四年五月から三次にわたり、七〇五人を塘沽・青島から乗船させた。船中で三人が死亡したので、七〇二人が旧三岳村の作業所に着き、主にダムから水を流してくる隧道と発電所工事に働かせた。
 間組御岳作業所では一九四四年五月に塘沽から三七〇人を乗船させ、全員が作業所に着いた。また、鉄道建設興業信濃川工事事務所から二回にわたって三七〇人が移転して来たので、総勢七二三人で隧道工事に働かされた。
 飛島組御岳作業所は一九四四年五月に青島から二九六人を乗船させた。船中死亡が一人、下関へ上陸後に二人が死亡したので、二九三人が作業所に着き、発電所工事に働かされている。
 中国人が入った飯場や作業現場の警備は、長野県警察部から華人係として警官六人が配置された。各現場には臨時巡査派出所を特設し、特高警部補一人、巡査部長一人、巡査二人が常駐したほか、多数の警官を配備した。
 中国人を収容した飯場はバラックの建物で、床板に敷物はなく、空き間風が吹いた。王滝村で間組の炊事をしていた人は、「中国人の着物はみじめなもので、ズボンはヒザまで切れて、なかには寒中ハダシで歩くものも少なくなかった。冬は平均零下一二度、ときには二〇度に下ることもあったが、みんな毛布一枚で板の間に寝ていた」(後藤まさ)という。御岳発電所に連行された中国人は、一九四四年の暮れから翌年の二月にかけて多く死んでおり、毎日二~三人の死体を中国人が山に運んで火葬にしていた。飯場のわきに遺骨を入れておく小屋があって、焼いた後でそこに納めていた。衣服が十分でないうえに、粗悪な飯場は寒さを防いでくれないため、冬に多くの死者が出た。
 しかも、食糧がまた悪かった。県から少量の小麦粉が配給になるので、小麦粉六〇%とフスマ四〇%でつくったパンが、一日に三個だけ配られた。おかずはほとんどなく、あとは塩を少し入れただけの汁一杯だった。空腹に我慢できず野草を取って食べたが、冬はその草もないので、衰弱してやせ細っていった。
 「外務省報告書」にある事業場で報告している労働時間は、鹿島組が一〇~一一時間、間組が九時間、飛島組が一〇時間となっている。だが実際は「戦力増強工事」なので、一日の割当量が終わらないと、一二時間でも一三時間でも働かせた。
 また、生活環境の悪さ、食糧不足、長時間重労働などで、栄養失調、胃腸障害、肺結核などの病気が多発したうえに、負傷者も多かった。「事業場報告書」によると、鹿島組は七〇二人のうち罹病者は八二一人で、この中に両眼失明二三人を含む眼病重症が九三人もいた。失明した人は同僚に手を引かれ、現場へ働きに行く様子を日本人が見ている。負傷者は一〇八人。間組は七二三人のうち罹病者は四一七人、負傷者は一五一人。飛島組は二九三人のうち罹病者は四八九人、負傷者は一〇八人と多い。
 このように罹病者や負傷者が続出する中にあって、食糧不足や長時間労働は改善されないため、脱走する人が次々とでた。しかし、地理がわからないうえに食糧を持たないで山へ逃げるため、すぐに捕えられた。鰔川でつかまった中国人の場合は、「二人とも山狩りの警防団員につかまり、トビグチで後頭部をメッタ打ちされて、全身血まみれとなり、意識不明のまま松本へ送られ、そのまま消息をたった」(松原信雄)という。また、追跡されて川に投身する人もいたが、そのまま流してやった。殴り殺した人は隧道やコンクリートの中に固めたりした。
 「木曽谷事件」はこうした中で起きた。旧三岳村の鹿島組御岳作業所の中国人は一九四五年三月に「鹿島組の食料倉庫を襲い食料を奪った。つづいて八路軍中尉徐強が指導者となって御岳発電所爆破を計画するが、導水管四・五本を破壊した段階で計画が発覚し、長野県特別高等警察がきて一五人が検挙された。そのうち一一人が、治安維持法の拡大解釈で外国人としては初めて適用された。八月一六日に第一回公判と告示されたが、一五日の敗戦で裁判はなく、それなのに釈放はすぐされなく、一〇月一〇日に政治犯釈放で釈放になった」(『上松町誌』第三巻)が、虐待の中で中国人連行者が直接事業所を攻撃し、抵抗の姿勢を示したのが木曽事件だった。







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