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評者◆杉本真維子
住まう
No.2873 ・ 2008年06月14日




 ある住宅雑誌を眺めていたら、「住まう」という言葉に不意をつかれた。この響きには、丁寧に物事を考えながら日々生きる人の、ゆったりとした味わいぶかい生活の匂いがある。しかも虚構ではなく、そのようなきちんとした人は必ずいる。そのことが、そもそも「生活」というものがあることすら疑わしい私をおびやかす。だいたい、仕事部屋が狭いのがいけない。最初はもっと広い部屋を専有していたが、ある事情から家族への気遣いで自ら狭い部屋へ移った。将来を見越せばそれが不都合になると予測できたはずなのに、結局うらめしい気持ちにすらなって、不器用な「思いやり」が裏目に出ている。いや、それ以前に、整理整頓が苦手な自分がいけないのであって、そんなことだから部屋が贈本に埋もれ、もちろんそれは有り難いことだが、眠るスペースをうしなったのだ。たぶん、本という物質にも意思があって、それもまた、快適に住まうことを願っている。その気持ちに負けた人間は、すごすごと別の部屋へ移動して眠る、そういうことになっているのだ。
 むかし、坂口安吾の書斎の写真を見た。「作家とはこんな乱雑な部屋に住んでいるのか!」と驚いた記憶が、そのまま、「乱雑でいいのだ」と、どこかで繋がってしまったのかもしれない。責任転嫁のようだが、まあ、部屋のことはいいとして、私の場合、「生活」とは、きちんと早起きし、頂いた手紙にはすぐに返事を書き、規則正しい時間にすぱっと原稿を書く。天気の良い日は、外へ出てゆっくりランチでもしてみるなど、ちょっと赤面しながら理想ばかり並べてしまうが、そんな暮らしに憧れる。思いやりをすぐに表に出し、行動できる人間になる。細かなことにくよくよせず、困った友人がいれば真っ先に駆けつけ……、ようするに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と変わらないようだ。そういう人に、私はなりたい、のである。
 神山睦美『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)を読んでいたら、衝撃を受ける一文に出合った。
「それからの私は、仕事は大事だが、仕事をかけがえのないものとする考えが出てきたら、人間をやめてしまった方がいいと考えることにしました。」
 これは第三章「良心の呼び声」のなかの、「かけがえのないもの」について問いかける部分で、著者にとっては、それが「読み、書き、それを本にして出版すること。そのことで、人から認められること」だったが、あるとき、その考えが「いかに皮相なものか、思い知らされ」たという。きっかけは、そうやって「仕事にかまかけている間に」、家族を孤独にし、「家族の一人ひとりが、死に近い場所へと追い詰められていった」ことだという。
 私はこれを読んで、少し傷ついていた。私などとっくに人間をやめたほうがいいということになる。そしてそれを受け止め、承知していることの傲慢さも自覚している。私は一匹の猫を可愛がっているが、忙しいときはトイレの掃除を忘れる。彼にとって、トイレの清潔は健康を保つために大切と充分理解しているのに、原稿を書き上げ、ウンチだらけのトイレに気づいては、「理解」などどれほどのものかと、彼の足元に懺悔するのだ。そんな愚行のなかで、仕事以外のもの、誰(何)かを、大切にすることは、どこかで「住まう」ことに繋がるのではないかと、いつも心底に後ろめたさを漂わせながら、思っていた。つまり、どんなに忙しくても、自らの愛に目を開くことだけは忘れずにいれば、そこからゆとりは生まれ、思いやりは実になり、そうやって丁寧に生きることが、結果としてより豊かな仕事へと結びつくのではないかと。目下の目標はそんなところで、裏百年まちという日々をつづる連載エッセイを通して、繰り返すようだが、そういう人に、私はなりたい。







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