書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆田辺秋守
革命の灰か、テロリズムの火か──天願大介監督『世界で一番美しい夜』
世界で一番美しい夜
天願大介監督
No.2872 ・ 2008年06月07日




 公開された最近の作品、『AIKI』(02)や『暗いところで待ち合わせ』(06)が、どこかで「善意」に回収されがちだった天願大介監督の最新作『世界で一番美しい夜』は、この脚本家=映画作家本来の笑いと「悪意」が全開になった喜劇である。「代表作」(監督談)というにふさわしい。
 まともな産業などほとんどない最果ての「要村」が、出生率日本一になったいきさつを少女ミドリが語るというところからストーリーは始まる。話は十四年前に遡り、同僚の裏切りによって左遷された新聞記者一八(田口トモロヲ)がこの地にやって来る。なんとかスクープを物し、本局に返り咲くことを一八は密かに心に期している。一八はスナック「天女」の美人ママ輝子(月船さらら)が夫を二人も殺しているという話を神社の宮司(若松武史)から聞き、噂の真偽を確かめるべく調査に乗り出す。輝子は繋留船の中で何やら怪しげな実験をしている仁瓶(石橋凌)と頻繁に連絡を取っている様子である。一八は、記者=探偵の直感から彼らの関係になにかがあるとにらむ。そんな折り、一八は輝子の思いがけない能力に接するのであった……。
 一見すれば明らかなように、この映画の人間関係を支えているのは上代神話の構図である。『古事記』の主要な神々が、ポストモダン神道とも言うべき換骨奪胎を経て、過疎化と地方格差に悩む現代の僻村に活躍する。自ら貞操帯を着けて禁欲生活にこもる輝子には、岩屋にこもる主祭神アマテラスの姿が投影されている。輝子は、御祓い=治療を実践する巫女=分析家という特異な存在である。活動家くずれの仁瓶には、児戯に類するいたずらをはたらいて高天ケ原を追放されたスサノオの無垢が仮託されている。映画の設定では仁瓶と輝子は幼なじみだが、神話の構図を組み換えた兄‐妹という関係に感じられる。だから仁瓶と輝子の性愛のシークェンスは、近親姦的な雰囲気を濃厚に漂わせていて、きわめて不敬である(笑)。下半身をむき出しにして一八に迫る〆子(美知枝)の所作は、天の岩戸の前で裸踊りをするアメノウズメを彷彿とさせる。また、〆子は蛇に変身した一八と交わり、異類婚の結果としてヘソのない娘を卵で産むのだが、娘のミドリともども、ベンヤミンがカフカ論で論じているあの古代的な母系的生物たちの末裔というように感じられる。今日かろうじて可能な多産性とは、強力な媚薬である「縄文パワー」の力を借りて、人工的にひとときのオージー的祝祭を祝った後に、男抜きのあの薄暗い母系家族へと立ち戻ることなのかもしれない。仁瓶は言う「六〇年代に戻りたいんじゃない、縄文時代に戻すんだよ」と。〆子も元の場所へと立ち戻る円環的なパワーの必要を訴える。古代的なものは現代的であり、現代的なものは古代的である。映画ではこの往復運動が主要な推進動機になっている。
 神懸かりする輝子の三つのシークェンスは、「憑依」の現代的な表現としてすぐれている。憑依するときの輝子は、他人に見える自分の姿と内言するもうひとりの姿に分裂した映像として示される。他人に見せる険しい表情と内に潜める穏やかな表情。サウンドトラックも、輝子の物語世界での実際のセリフと内言するセリフの時間的な微妙なズレとして、その分裂状態を巧みに再現している。憑依した輝子は次々と亡霊たちを手なずける。再来する亡霊は映画が好んで取り上げてきた題材である。亡霊の論理の探究であるデリダの憑在論をここで引き合いに出すのは、場違いではないだろう。亡霊は、不可視の可視者としてまずわれわれを見ている(ハムレットの父王に典型的なバイザー効果)。だから亡霊は必ず「来るべきもの」という姿をしている。輝子の特異な能力は、亡霊が取り憑いている者たちにそれを可視化させることである。輝子は御祓いが、正確に喪の作業であることを知っている。「祓う」とは、死者に引導を渡すことではなく、死者とともに共生する術を教えることである。「厄祓いは、みずから〔に〕引導を渡し=みずから〔の〕喪に服し、みずからの力に立ち向かうのである」(『マルクスの亡霊たち』藤原書店、二四七頁)。
 さらに、この映画は「革命」の表象の亡霊的な次元をも引き出しているように見える。「縄文パワー」を使って村人は性のひとときの饗宴を謳歌し、その結果出生率日本一の共同体を作り上げる。この荒唐無稽な実践を通じて映画は、反時代的なヴィルヘルム・ライヒ流のセクシャル・レヴォルーションを再びぶちあげようと意図しているわけではない。また、戦後日本の生産=生活形態が必然的に招いた少子化傾向になんとか歯止めをかけようとするあからさまな日本イデオロギーに迎合しているわけでもないだろう。むしろ映画は、革命とテロリズムは紙一重であり、革命がすぐさまテロに堕し、また逆にテロから革命が生ずることを忘れたふりをしている現代日本人に、取り憑いて離れない革命の亡霊的な次元を突きつける。蛇に変身した一八の発電所(文明としての「火」)への自爆テロ、そして少年少女が東京上空に「縄文パワー」をまき散らすシークェンスが、見る者に一種のやましさを感じさせずに措かないとするなら、それは革命とテロリズムの間にあるわずかな違いに幻惑されるからだ(デリダなら「詩的な差異」と言うだろう。前掲書二四六頁)。風に舞う粉末状の「縄文パワー」は、革命の灰なのか、テロリズムの火なのか。テロリズムが簡単にやっかい祓いできないように、革命の表象を悪魔祓いすることなどできない。
 なお、若松武史(「天井桟敷」出身)、佐野史郎(「状況劇場」出身)、月船さらら(「宝塚」出身)、三上寛(メッセージ・フォーク)、石橋凌(ロックバンド「A.R.B.」)、田口トモロヲ(パンクバンド「ばちかぶり」)などの出演者の顔ぶれは、戦後演劇の一時代と戦後音楽の一時代との「あり得ない」幸福な関係を自ずと演出したものである。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約