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評者◆秋竜山
表紙のない「サザエさん」、の巻
No.2870 ・ 2008年05月24日
人間は何を笑うか。「『サザエさん』の漫画をみて笑ってしまいます」。長谷川洋子『サザエさんの東京物語』(朝日出版社、本体一二〇〇円)では、サザエさんの作者、長谷川町子さんを知ることができる。長谷川洋子さんは、長女・まり子さんと同じように町子さんの妹として有名である。
〈この本は、私の初めてで最後の本だと思います。〉〈二年ほど前、鶴見俊輔先生と齋藤愼爾先生が、「サザエさんの〈昭和〉」(柏書房)という本を編んでくださった。執筆された先生方は十数名だったが、この中で直接、町子に会われたのは飯沢匡先生と鶴見俊輔先生のお二人くらいではないだろうか。それほど町子は人前に出ることが苦手だった。私生活や性格など、実像を知る方が少ないので、いろいろと憶測や、似ても似つかぬ人間像が紹介されたりすることになった。それで、家族の中での町子を、ありのままに書き残しておきたいと思った。〉(本書――あとがき) 漫画家同志でも、サザエさんの作者を見た人はいなかった。なぜか? みんな会っていないからだ。会って遠くの方からでも眺めたいと思っても、あらわれてくれないから、どうにもならなかった。〈町子は人前に出ることが苦手だった。〉といわれるが、漫画家などのパーティなどにはテッテイして出席されなかった。長谷川町子さんは「そーいう漫画家」ということになっていた。本人はそれでマンゾクしていたのだろうと思う。きっと、ゾクゾク感のあるマンゾク感だったろう。写真すら人前に出さなかったのだろう。どんな姿形をなさっておられるか、まったく想像できなかった。漫画というものは、作者がわからなくても、作品さえ面白ければ、作品を見ながら笑えるということだ。私がサザエさんをはじめて見たのは、昔の出版された本であった。昭和二十年代の後半ということになるのだろう。その当時、ついに表紙のまともについているサザエさんを見ることはできなかった。表紙のないということは、つまりは多く人によって、まわし読みされた証拠であった。今、考えてみると、あの時代は、まわし読みの時代であったなァ!! と、なつかしくも思えてくる。それほど愛された本ということになる(よく考えてみると、あの頃の本は全部といってよいくらいにまわし読みであった。特に田舎などではそーだった。もちろん、表紙なし本であった)。ひどい!! というべきか、うれしい!! というべきか、サザエさんの一冊の半分のページの本をまわし読みされたこともあった。当時、芸能雑誌で、「平凡」とか「明星」などという月刊誌が有名だったが、それらの本も、表紙はついていなかった。半分やぶられたような目次から読む本などというのが、あたりまえであった。 〈「サザエさんの〈昭和〉」を読んで感じたのは、四コマ漫画の作品だけから町子の深層心理を分析したり洞察したりされる先生方があり、そういう視点もあるかと驚かされたことだった。「文は人なり」という言葉もあるくらいだから、日常生活の紹介など蛇足であったかもしれない。〉(本書、あとがき) それにつけても、「アア……表紙のない、ページの脱落している単行本『サザエさん』を見たい。」 |
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