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評者◆雀部幸隆
当時のウェーバーの立場、「大ドイツ主義」との矛盾──「統一主義」よりも「単一国家主義」が妥当
マックス・ヴェーバー――ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯
今野元
No.2870 ・ 2008年05月24日




 四
 今野書第五章で、評者の観点からしてとくに問題をふくむ箇所は、やはり第三節「ヴァイマール共和国の国制構想」である。
 (一)今野はウェーバーの当該の国制構想が「共和主義」、「大ドイツ主義」、「統一主義」の「三原則」によって「貫かれている」と特徴づけている。このうち前二者については異論がないが、「統一主義」(Unitarismus)を単純に当時のウェーバーの立場とすることはできない。そもそもその立場は「大ドイツ主義」と矛盾する。そのことを明確にするためには、まずUnitarismusの訳語の確定から議論を始めなければならない。Unitarismusに対置される言葉はFoderalismusだが、Foderalismusは「連邦主義」であるから、それと対置される――ウェーバーも『ドイツ将来の国家形態』において、Unitarische oder foderalische Losung? Einheitsstaat oder Bundesstaat? と二者択一的な問題提起をしている(MWGⅠ/16,S.111.みすず書房版『政治論集』2、五〇四ページ)――Unitarismusは、「単一国家主義」という訳語を当てるのが妥当だろう。そのように事柄をはっきりさせると、Unitarismusはワイマール共和国国制の、「大ドイツ主義的解決groβdeutsche Losung」(ebd.,S.117.同上五〇九頁)と矛盾してくる。なぜなら、ライヒ国制の「単一国家的解決」(unitarische Losung)は、独自の通貨と発券銀行、異質な財政運営と通商政策的要求とをもつオーストリアとの合併を不可能にする、とウェーバーは考えていたからである(ebd.,S.116.同上五〇九頁)。
 そのうえ、なによりもウェーバー自身が、『ドイツ将来の国家形態』において、新生の共和国においては結論的に「連邦共和制」(Foderativrepublik)が目指されるべきだとしている(ebd.同上)のであるから、かれが個人的な信条からすればUnitarismusを採りたいと希望していたとしても、すくなくとも近い将来においては、ドイツの国制はFoderalismusに立脚せざるをえないと見なしていた。その理由は、ウェーバーによれば、一、ドイツ国制の「単一国家的解決」はドイツの弱体化を目指す連合国側がそれを許さないだろうし、二、それはまた上記のように「大ドイツ主義的解決」を不可能にするだろうし、さらに三、オーストリアだけでなくバイエルンも、その歴史的伝統的に「正当化される特性」(die berechtigte Ei‐genart)からして、そうした「単一国家的解決」に激しく抵抗するだろうからである(ebd.同上)。今野も、ウェーバーのこうした理由づけを見ないわけではなくそれに言及してはいるのだが、なぜか氏はUnitarismusをウェーバーの戦後国家構想の三大原則のひとつだとする自説に固執している。
 (二)しかし、その固執は、帝制期の「連邦参議院」(Bundesrat今野はこれを「連邦評議会」と訳している)をどう改編して共和国国制に組み込むかにかんするウェーバーの見解の、今野による一面的な解釈の問題につながる。
 今野は、Bundesratを解体してアメリカ合衆国「元老院」(上院)に見合ったStaatenhaus(今野の訳語は「分邦院」、雀部の訳語は「連邦院」)を創設するというのがウェーバーの構想だったとしている。それではBundesratとStaatenhausとがどう違うかといえば、今野によれば、Bundesratは(第二)帝国内各邦政府がその訓令にしたがって行動する「代理人」を派遣するという形式にもとづいて組織されているのにたいして、Staatenhausはかつての邦に対応する地域(ワイマール共和国では州)住民の「直接選挙で選出され、自分自身の意志で行動する各邦の『代表者』によって構成される」というところにその違いがあるという。
 このうちの前半部分の説明は妥当だが、後半部分に指摘された内実のStaatenhausをウェーバーが提案したかといえば、その事実はない。今野がここで説明しているStaatenhausはアメリカ合衆国のSenate(元老院、上院)に対応し、今野はウェーバーがそれ(など)を参考にしてかれのStaatenhausを構想したというのだが(今野書三三七頁)、それは違う。
 ウェーバーは、「純粋に民主主義の観点からすれば」、「住民選挙」方式にもとづくアメリカ型のStaatenhausが望ましいけれども(MWGⅠ/16,S.124.『政治論集』2、五一五頁)、しかし、現在ドイツの諸条件のもとではそれは採用できない、と断っている。その理由は、かれによれば、第一に、「今日、『ベルリン』の信用がいちじるしく失墜し、ライヒの憲法制定議会とならんで各邦の憲法制定議会が並存する」という状況のもとでは、ライヒへの自邦政府の政府としての応分の要求権を「代理人」原則によって連邦主義的「中央機関」に反映させようとする各邦政府の動きを抑えることができないからだし(ebd.,S.122.同上五一三頁)、第二に、なんといってもそうした「住民選挙」方式にもとづくStaatenhausがドイツでうまく機能しうるという「明白な経験的証明が欠けているから」である(ebd.,S.126.同上五一六頁)。
 さらにウェーバーは、アメリカ的なStaatenhaus方式の採用を不可能とするについて、第三にもっと即物的に重要な理由を挙げている。そもそもウェーバーは敗戦後のドイツ復興のためには「労働の最高度の合理化」が必要だと考えていたが、かれは、それを行財政面で達成するためには、ライヒ行政の執行とその監督、ライヒ行政への注文等の業務に各邦「政府の代表者」が関与することがぜひとも必要であり、そうした関与は、実際には各邦政府の「訓令」を受ける「代理人」たる「官吏」(Beamte)がこれをもっとも効率的に行うことができるのであって、とりわけ「住民選挙」方式の地域住民「代表」たるStaatenhaus議員(各邦選出議員)にその十全な代役を務めさせることは不可能だと考え(ebd.,S.116.同上五一三頁以下)、そこから(も)かれは、アメリカ的なStaatenhaus方式を現下のドイツに取り込むのは不可能だと見なしたのである。
 そこで結局ウェーバーが第二帝国のBundesratにかわるワイマール共和国の連邦主義的中央機関として提案したものは、一八四九年「フランクフルト憲法」方式のStaatenhaus(ちなみに雀部は、同憲法のStaatenhausに限り、それを「諸邦院」と訳している)である(ebd.,S.57,74.対応する邦訳なし)。それは、同憲法第八八条によれば、議員の半数を「各邦政府」が、別の半数を「各邦議会」がこれを任命するというものであり(E.R.Huber,Dokumente zur deutschen Verfassungs‐geschichte,Bd1,Kohl‐hammer,1978,S.384.高田敏ほか訳『ドイツ憲法集』信山社、一九九四年、三一頁)、これなら、敗戦前に帝国のBundesratの議会化のために知恵を絞ったウェーバーの志向をある程度かなえることができると同時に、Staatenhaus議員の半数は政府の任命になるのであるから、ライヒ行政への各邦の効果的関与というさきに見たドイツ・ライヒの現下の必要にも応えることができるだろうと、ウェーバーは考えたものと思われる。しかし、このフランクフルト憲法のStaatenhaus方式にはじつは難しい問題がふくまれており、はたしてウェーバーがそれをどのように見てどのように解決しようとしていたのか疑問が残る。だが、そのことは当面の今野書の吟味とは別問題であるから、ここではその問題に立ち入らない。なお、その問題性をもふくめて、以上に述べたことの詳細は、雀部の『ウェーバーと政治の世界』二九〇頁以下および『ウェーバーとワイマール』一一八頁以下において考察されている。
(つづく)







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