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評者◆丸川哲史
単なる現象叙述以上の政治判断を要する問題──「チベット問題」を考える
No.2865 ・ 2008年04月12日




 今年三月中に発生し継続中の、チベットのラサ市、その他四川省、青海省、甘肅省などチベット人自治区における一連の抗議活動(とその延長上にある暴動、そして弾圧事件)についてどう考えればよいのか、その条件をさぐってみたい。
 まず、日本の情報環境の特徴的な反応として、中国政府側の弾圧を批判しなければならない、とする論調が主流を占めている。もちろんそういった考え方は凡そ不自然でもないわけだが、そういった論調を唱える人々の中にはさらに「なぜ日本の左翼は中国を批判できないのか」といった別の問題意識も散見される。筆者の考えを言えば、中国政府を批判すること自体は、日本(西側)においては極めて容易なことであるということ、そして「チベット問題」を考える際に、「右」「左」の問題が出てくるのは、「チベット問題」はまた冷戦構造の問題でもあるということである(後にまた触れる)。
 さて、はじめに「チベット問題」を語る条件の輪郭を提出すると、一つには、新中国成立以来の(清朝期及び民国期の問題も引き継がれているわけだが)、例えば「チベット動乱」(一九五六~五九年)への歴史的評価、さらに文革期の「階級闘争」を中心とした社会衝突の分析と整理など、チベットの人々の苦難の経験を総括することが是非とも必要となる。しかしてもう一つは、九〇年代以降、中国社会全体が経済のグローバル化に巻き込まれたことから派生する新たな危機を分析し整理する必要性である。そしてしかる後に、この二つの問題系をつなげる最終的な見取り図が望まれる。というのは、九〇年代以降に出てきたチベット社会をめぐる危機は、明らかに前者(八〇年代以前)の文脈では計れない要素をも含むからだ。
 近年の危機の特徴を大掴みに言うと、以下のようにまとめられよう。
 一つは、表面上の宗教政策の緩和によるチベット寺院の再建などの新しい文化政策が実は「観光開発」と一体となっていることなどの矛盾が指摘できる。またもう一つは、それらの大きな背景となるもので、資源開発及び工場・交通インフラの整備などの新たな「開発」路線が巨大資本と漢人の流入を生み、社会の歪みを増大させていることである。暴動の矛先が漢人の経営する民間商店などに向けられていたことからも、そのことは裏付けられよう。すなわち問題の根本は、旧来からの民族問題を継承しつつも、圧倒的な資本(と漢人)の流入が「我々」の生活文化を蝕みつつある、という現状認識である。だから、かつて八九年の抗議活動が五九年のダライ・ラマ十四世などの脱出三十周年に触発されたものであったのに対して、今回のそれは五九年からの周期ではなく、むしろオリンピック開催(「経済成長」の象徴)という別個の時間軸において発生したものなのである。またその意味でも、チベット人が抱える問題は、九〇年代以降の中国社会全体の変化にかかわる根本的な危機(例えば農村問題、環境問題)と同根のものであり、またなおかつ、グローバル化における中国社会の矛盾が周辺地域により過激に転化されたものだと言えよう。だから、チベット人は、矛盾の出所を漢人社会からのものとして、不可避的に「反漢」意識を表現し、またそのような「開発」路線をチベット人居住区に持ち込んだ中国政府の新たな政策への抑えがたい怒りを爆発させたのだ。
 以上の見取り図に付け加えるべきこととして、現在の主に国外で展開されている運動の特徴を一定程度整理しておきたい。それらの運動は、かなりの程度、冷戦及びその変質に規定されている、ということである。例えば、五九年の国外脱出によってむしろチベット文化が世界的な伝播を見ることとなったという指導者たちの指摘はその通りであるが、だからこそその当時の「世界的」は西側世界中心であらざるを得なかったわけであり、そこで「チベット問題」の語られ方の偏差が生じている(ラテンアメリカ、アフリカなど同じ問題系を抱えている地域において、なぜ同時に「チベット」が語られないのか)。そしてさらには、一九七二年の米中接近において、米国からの援助停止による武装闘争路線の放棄も含めた方針転換が為された契機も付け加えておきたい。そういった辺りにも、今日の独立論と高度自治論の分岐の背景が存するのである。
 以上のことからも言えることは、「チベット問題」を語ることは、単なる現象叙述以上の政治判断を要する、ということ。そしてその政治的判断とは、十分な過去の出来事への総括と今起こりつつあることへの注視を糧にして初めて成り立つこともまた二言を要さないことである。
(東アジア文化論・台湾文学専攻)








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