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評者◆齋藤礎英
様々な異邦──V・カミナー、リービ英雄、宮沢章夫、古井由吉の作品
No.2865 ・ 2008年04月12日




平凡な繰り返しが、実はある前提のもとで始めて円滑に
齋藤礎英
 『オデュッセイア』の昔から、異邦の地にある人間というのは文学の大きなテーマの一つだった。しかし、時代が下るに従い、「蛮族」の奇態な風俗をレポートすることから、異邦の地にあることの解消されることのない違和感が多く表現されるようになる。
 生国を離れたからといって、人は特にこれまでと変わったことをするわけではない。食べ、飲み、働き、寝るというごく日常的なことが繰り返されるだけだ。だが、こうした平凡な繰りかえしが、実はある前提のもとで始めて円滑に行われることを今月の幾つかの作品が示してくれている。
 「僕はベルリン人ではない」(浅井晶子訳『すばる』)を書いたノウラディミール・カミナーは、モスクワで生まれ、二十代の前半にベルリンに亡命し、ドイツ語で作品を書いている。彼が常に問われるのは、なぜドイツなのか、なぜベルリンなのか、なぜロシア語ではなくドイツ語で書くのか、である。これは、なぜいま君はそんな境遇にあるのか、それは偶然なのか必然なのか、と問われるようなものであり、私たちは当然のごとくそうした答えのでるはずもない問いを括弧に入れて生活をしている。外国で生活するとは、こうした答えのない問題を問い続けられることなのだ。
 アメリカで生まれ、日本語で小説を書いているリービ英雄もまたそんな問いかけにさらされつづけてきたに違いない。「仮の水」(『群像』)では、彼が中国を旅行することで事態は余計複雑なものとなっている。ガイドは日本人を案内するつもりが西欧人が現われたのを見て困惑を隠さない。広場で、群衆のなかから二人の「自分と同じように、彫りが深く、白い顔」が浮び上がるが、彼らは聞きおぼえのない言葉を喋る大陸の西の奥から来たムスリムの男女であり、外見は同じようでも「かれのようによそものなのではない」。「よそもの」にも等級があるのだ。更に彼は腹具合の悪いなか、「衛生的だから心配しないで」とわざわざ断られねばならないような場所で、言うことをなかなか素直に聞いてくれない運転手と食事をし、砂利が溶けたようなミネラル・ウォーターを飲む。ますますおかしくなった腹具合で入った公衆便所は、個室もしきりも全くない中国式である。排泄の場では外面も人種も関係がない。「おどろきがなくなり、恥もすべて忘れてしまい、子供の脚で大人の胴を支えるような、重みに耐えた。骨も筋も溶けて水となり、かれは目をつむり、まだ痛い、と父に訴える細い声がのどから上ろうとした。」と、ある普遍的な情緒に包まれたとも思えたのだが、便所の外には相変わらず言うことを聞いてくれない運転手が待ちかまえているのだ。
 異邦とはなにも外国だけを意味するものではない。過去もまた我々にとって違和感を引き起こす異邦であろう。宮沢章夫の「返却」(『新潮』)は、三十一年前に借りた二冊の本を図書館に返しに行く話である。一冊(『日本ヌーベルバーグ』)はなぜ借りたかよく覚えているが、もう一冊(ブローディガン『アメリカの〓釣り』)は読んだかどうかもわからない。同じ過去でも親疎があり、街の記憶も同様で、二重三重の像で眺められることになる。結局、本を借りた図書館は合併されて場所を移しており、過去からの負債は返済されないままに残る。
 いまここから、距離的にも、時間的にも離れていない異邦など存在するだろうか。古井由吉の「やすみしほどを」(『新潮』)はまさしくそうした異邦を現出させているように思われる。二十日あまり先の入院手術を控えた「私」は、別の病気で家のすぐ近くの病院に入院する。それは回復するのだが、あとは手術を待つだけの宙ぶらりの状態のなかで、「妙な物」が「異物のように頭に浮かんで」去らないのに気づく。紙切れに書きつけてみると、「長き夜のいづこに見るや朝ぼらけ」という、本人の意識はともかく、句としか言いようのないもので、「霧より明けて鳥の鳴き立つ/眉ほどく軒のけぶりに山越て/川波わけて舟のひとすぢ」と続く連句を手術前後にかけて百句以上も書きつけていく。これらの句が、現在の心境を述べたものとも、季語を織り込んだ伝統的な俳諧とも違う奇妙な世界を形づくっている。あえて類推すれば、手術後、空間の感覚に異常が出て、天井の模様が細い霧の糸となって乱れ舞うのを見て聞いたように感じた「ひどく緩慢な、狂ったように間伸びのした、囃しの乱声」のようなものだと言ったらいいだろう。連句という伝統的な形式に則り、おかしな言葉づかいさえされてはいないものの、どれだけ読んでもどこに帰属させたらいい言葉なのか途方に暮れる無意味さが瀰漫しており、見慣れたはずの言葉のなかに異邦があらわれている。(文芸批評)







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