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評者◆小野沢稔彦
<沈黙>の世界に身を曝せ──広河隆一監督『パレスチナ1948 NAKBA』
No.2864 ・ 2008年04月05日




 問題は、48年にあった「NAKBA」(大惨事)が今日もなお、60年間、日々仕掛けられており、この「ナクバ」の日常化の中で人々はいかに生きようとしているかなのだ。国家を形成し「ナクバ」を仕掛けようとする側に抗して立ちつくす人々、ここに生きる人々からは、決して「国家」への意志は生まれない。ただ自らが生きてある現実性を変革しながら、幻視する共同性を追求する運動をいかに作り出して行くかが、それぞれの生の現場で試行されて行くのだ。『パレスチナ1948 NAKBA』(広河隆一監督)は、こうした民衆の生の構築の運動を、広河が記録し続けてきた長い時間を背景に重層的に描き出す。「ナクバ」の日常化の中で、そのことに不感症となった私たちの感性──まさに例外状況の日常化を当り前のことに感じてしまうまでに馴致された私たちの感性──の前に提示する。そして、私たちのこの世界との共犯的姿勢を問い直す映画となって私たちの前にある。映画『NAKBA』は、改めて「ナクバ」を直視することを、私たちに静かに要求するだろう。
 さて、この映画を凡百のドキュメンタリーに比して優れたものにしているのは、広河がパレスチナと関わった長い時間の中で撮り続けた一枚一枚のスチール=静止画面(それは決して、映画のストップショットではない)の力によってであり、その〈沈黙〉の音の喚起力故なのである。突き放したようにロングのまま、一見無造作に風景を切りとったように見える静止画面が浮び上らせる歴史の深部。そのスチールは、まったく無機的なただの風景にすぎないのだが、それが映画として再構築され、時間を回復すると、流れ消費され忘却の歴史──私たちが馴致される日常という闇──に抗して持続する民衆の物語、つまり抵抗運動の意志を滲ませ始める。そして私たちは、映画に深く参入せざるをえなくなる。そして、何も語らない沈黙の声を聞くことになる。
 『NAKBA』はまず、この静止画面が証す広河の持続的な運動の軌跡が感応した、中東なかんずくパレスチナ民衆の生のあり様を紡ごうとする。広河はなによりもまず優れたフォト・ジャーナリストなのだ。同時に広河は、82年の難民キャンプでのイスラエルによるパレスチナ人抹殺の現場を世界に発信する映像に見られるように行動的ジャーナリストであることは衆知のことであろう。しかし『NAKBA』は、そうした報道ドキュメントが持つ即物的な衝撃にではなく、一見何も告発しない風景写真の一枚一枚の中に、広河が見続けてきた中東の歴史が封じ込められてあることによって紡ぎ出される民衆の生の物語を開示する。そのことによって記録されるトポスの無音の告発力である。つまりここには、今日の帝国主義の戦略的ホロコーストに抗して戦いの意志を持続する──それは日々生きることを構築する試みなのだ──民衆の心性を視つめようとするドキュメント本来の精神が息づいている。そして、その試行は歴史を忘却からすくい取り再生することを目指す。何も起こらない風景の奥で引き起こされる日常のナクバこそが、人々を抹殺し、生の根拠を奪い、生きてある証しさえ無としてしまう今日のホロコースト後の光景。ここに広河は深く想いをこらし視つめ続ける。つまり記録し続ける──忘れないこと。例えば、無に帰せられた村の跡地、今は荒涼とした低木の繁る虚無の空間の前に立ち会わされる私たちは、この地と、それを撮した広河の意志とが形成する民衆の記憶の闇をめぐらなければならなくなる。
 そして私たちは、一枚のスチールの表面的には現われない〈沈黙〉としての音を感知し始める──VTRによる同時録音という方法は無意識のうちに状況音を採り込んでしまう。しかし、スチールはそれを排除し、情景の瞬間のみを切りとる。そして、パレスチナの時間の中で歴史となる。スチールが持つ批評性は、まさに〈沈黙〉を演出することによって、日常の音を超えた沈黙と測りあえる音を引き寄せる。トポスの抹殺は声も抹殺する。広河のスチールは、民衆の記録されぬ言葉に後追いしきれるかのように、一見凡庸な、しかし深い歴史性を帯びた沈黙の世界を紡ぐ。その沈黙こそ、世界を被う抑圧の言葉の饒舌さに向き合う民衆の方法なのである。広河は40年の中東経験から、抑圧された民衆の記録されざる沈黙の世界に向って、すなわち彼の身体に感応した地平に向ってシャッターを切り続けたのだろう。
 しかし、この支配的饒舌さを拒否する沈黙のスチールは、それが映画作品となる時、残念ながら作為された音が付けられ、私たちが自明とする映画らしさとなって現われる。多分、編集・仕上げ過程で音は付けられ、映画は私たちの情感に訴えようとする。つまり、映画という制度へと向かおうとする。しかし、それでも沈黙の音を観る者に低く伝えるのは、民衆へのインタビューによって多くの人々が切れ切れに語る多様な物語によってなのである。そこには自らが生きてあることを物語る低いけれどしなやかな声があるのだ。それは時に、奇妙な程にゆらいでいる。そのゆらぎに私は感応する。沈黙の内包する豊かさと、それに呼応する中東の民衆の生の言葉が重層的に生み出すポリフォニックな世界とは、一見虚無と化したかに見える何もない時空の奥に封じられたパレスチナ民衆の「ナクバ」──それは今日も続いている──と、しかしそれに抗して立ちつくす民衆のあり様のきわめて豊かな内実なのである。そしてその民衆の生の軌跡に関わり続けることこそが記録することではなかろうか。広河は、きっちりとその営為を行う。パレスチナ民衆(国家に包摂されないイスラエル民衆を含め)の豊かな物語は、決して「国家」を語ることはない。国家の意志こそが、ホロコーストを目指すテロルの戦略であり、民衆の運動は、それぞれの生を日々新たに生き直す試みにこそあるのだから。
 抑圧的饒舌の世界にある私たちは、この『NAKBA』に記録された沈黙の世界に身を曝し、立ち会うことで改めて民衆の声に向き合いたいと思う。







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