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評者◆矢部史郎
外人の思考、ハビトゥスを持たないというハビトゥス──「新しきサンディカ」を準備する思考
No.2864 ・ 2008年04月05日




 ハーモニー・コリン監督の映画『ミスター・ロンリー』がよい。主人公は、マイケル・ジャクソンのモノマネで生計をたて、モノマネを生きることでしか世界に対することができない青年である。マイケル・ジャクソンでしか生きられない男が、マリリン・モンローでしか生きられない女に恋をする。これは「キッチュ」とか「キャンプ」とかのような高尚な批評性を持った取り組みではなくて、もっと泥臭く愚鈍な仕方で、モノマネ(インパーソネイター)を生きる人間である。この映画が目指しているのは、あれやこれやの人格を描くことではなくて、人格という概念自体を俎上にあげることである。人格に憑かれ、人格を纏う、モノマネ芸人の姿は、ある階級にとって親しみやすく、同時に痛ましいものだ。その場しのぎの方法ではあっても、疎外を解消することはできる。そういうやりかたはたしかにあって、選び取った人格に従って、毎日を楽しんだり悲しんだり恋をしたりできる。
 しかし、主人公はマイケル・ジャクソンという人格を最終的に放棄する。彼はすでに解消されたはずの疎外を、もういちど呼び戻すのである。疎外を解消して生きるのではなくて、疎外をそのまま生きることを彼は要求する。そうして所在なくフラフラする外人になるのだ。
 『眠られぬ労働者たち 新しきサンディカの思考』(入江公康著・青土社)は、フラフラしていてよい。論旨がフラフラしているというのではなくて、著者の姿勢がフラフラしているのだ。「書いていることはいいのだが、彼がいったいどこに軸足を置いているのかわからない」。「挙動不審の人」。入江氏という人物にはそういう定評があって、彼はあらゆる場で「場にそぐわない」ということができる人である。だから、先輩や同輩に呼び出されて、こんこんと問い詰められたりもする。「君はつまるところ何がしたいのか」「君はどういう立場から書こうとしているのか」「君は誰と共にあろうとするのか」。こうした詰問を受けてしどろもどろになることは、あるいは彼にとっては不名誉なことかもしれない。しかしそのような、答えに窮するような問いの数々を集中的に浴びせられるという事実は、現在のシーンにおける彼の特権性を示すものでもある。三十代後半になって、いまさら詰問されるというのはなにごとか。普通ならまず他人に突っ込まれるような甘い文章は書かないし、あるいは、もう手の施しようのない阿呆というポジションを得て放置されるだけである。しかし、入江氏は違う。彼は、「なにをいまさら」な問いを、ちょうどいま受けているのだ。なかなかできることではない。
 彼の論文は主に日本労働運動史を中心にしているのだが、そのなかで実に様々な事象と理論をとりあげている。徳田球一とフロイトとアントニオ・ネグリを並列して、まったく臆することのない乱暴さ大胆さがある。他方で、新自由主義とは何かということを雨宮処凛氏にレクチャーしていたりもする。また、『論座』という雑誌にいかにもマスコミっぽい雑な文章を書いて、そのことで喫茶店に呼び出されて問いつめられたりもする。その乱暴な動き方は、見知らぬ土地に闖入した外人のようである。
 入江氏は、国民のあるいは人民の文脈から微妙な隔たりをもって、なにかを考え論じようとしている。彼の文章は周囲を不安にさせ、ときに不愉快ですらある。このタフな外人の思考が、場をかきみだし、場を横断し、「新しきサンディカ」を準備するのかもしれない。
(著述業)







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