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評者◆秋竜山
連載第961回 昭和は遠くに……、の巻
No.2858 ・ 2008年02月16日




 本は重いのがよいか。軽いのがよいか。重いのでなくては読んだ気がしない!! なんて、言ってた時もあった。もちろん手に持ってのことである。責任編集=川本三郎・齋藤愼爾『久世光彦の世界──昭和の幻景』(柏書店、本体二二〇〇円)という値段は重いか軽いか。この本は重い本かブ厚い分だけ重い。いや、もちろん内容はズッシリ。持ち歩くのには軽いほうがいい。重い箸に限るなんていっていたが、軽い箸も悪くはない。そして、重くも軽くもなく、箸を感じさせない箸がよかったりする。本も、本を感じさせない本がよかったりするものだ。ハッ!! と気づき自分は今、本を読んでいるのだと本をしげしげと眺めたりする。すぐ人をうらやましがるのが私のもっとも悪いクセのようであるが、久世光彦という名前を目にするたンびに、「うらやましい人だなァ……」と思わぬ時はなかった。昭和十年(一九三五)に生まれている。いい時に生まれたものだ。阿久悠さんも死んでしまったが、本書では久世光彦さんの追悼文が他の人と並んでのっている。
 〈久世光彦が死んだ。それは得難い人を失ったということより、もっともっと切実な、ぼくの中の貴重な証人に突然去られた思いで、ぼくもまた一部死んだのである。そう、久世光彦は最大の証人だった。ぼくもまた、彼の証人だった。昭和二十年八月十五日を八歳とか九歳とかで迎えた少年は、滅びるでもなく、生まれるでもなく奇妙な間の世代で、お互い同士でしか理解し難い特異性を持っていて、それを何らかのアイデンティティとするには、相互証人の立場を取るしかなかった。〉(本書、同性代の感慨)
 この昭和二十年八月十五日というこの日、どこにいたか。そんなこと、どーでもよいことと思う年代になるのかならないのか。時間遠のいていく。昭和三十年代が「なつかしさ」のよき時代ということになっている。同じように昭和二十年代がなつかしくもあったが、今ではそれを卒業したというべきか。その内に昭和四十年となる。そして、昭和五十年と。
 〈向田ドラマを続ける意味のひとつには、あの時代は暗くなかったよ、ということを言いたいんです。二度の大戦にはさまれて、皆が下を向いて歩いているような感じで言われることが多いんですが、決してそんなことはなかった。十分おもしろくて明るかったんですよ。〉(本書、久世光彦‐聞き手=石村博子、これが私の「ドラマ」道)
 戦前、戦中、戦後と、幻景とか幻想の中でとらえると、人それぞれで持つ意見は異なる。明るかったと思える人もいれば、暗かったという人もいるだろう。そして、知らないという人。まず、昭和という時代に生を享けていなかったという人たちは、知らないに○をつけるしかないだろう。そういう人たちが昭和をどのように語っていくかだ。昭和という時代を本当にこうであったとつくられるのは、昭和という時代を知らない人たちによってであるだろう。ちょうど今、江戸時代や明治時代はこうであったと思うようなとらえかたである。昭和二十年八月十五日はこうであったと、その日を知らない人たちによって、つくられていくようなものだろう。偉大なパターン化されたその日ということになるだろう。







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