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学術
多民族が共生できる世界を考えるための一書
書籍・作品名 : 遊牧民族から見た世界史
著者・制作者名 : 杉山正明  
まっつ   51才   男性   





 中国を思い浮かべるとき、人は圧倒的多数の漢民族と、少数民族で構成された国または地域というイメージを持つ。そして漢民族は古来からの純粋な中華思想をもつ民族で、漢王朝や唐王朝のような栄光の古代帝国の歴史を思い浮かべる。本書はこのような一般的なイメージや痛切に真正面から再考を迫るものである。そして中国についてのイメージがいかに一面からのバイアスがかかったものであるかが解き明かされる。
 中国の華北平原は実際のところは遊牧民が暮らす草原地帯と連続するもので、遊牧民や漢民族が混在する空間であったことが述べられる。確かに草原地帯と印象的に隔てるものとして万里の長城が存在しているが、歴史上、万里の長城が障壁として機能したことはなかった。
 漢民族の王朝としてイメージする漢王朝と北方遊牧民の匈奴帝国は、漢帝室から匈奴帝室に降嫁することで安全保障を保っていた。武帝による強度遠征がむしろ特異でこれによって漢王朝の財政が逼迫することになった。ただ匈奴は様々な遊牧民族が利害の一致から結集したハイブリッド集合体の帝国であり、利害のほころびがきっかけになって霧消した過程が述べられる。ハイブリッドな統合体という概念は、遊牧帝国の消長を理解する上で重要な要素でもある。
 3世紀後半から4世紀初頭にかけて晋王朝が八王の乱でカオス的戦乱状況に陥った際、匈奴の首長の劉淵がつけこんだとされる永嘉の乱も、実は華北の漢人が漢と匈奴の二つの帝室の血をひくサラブレッドである劉淵に混乱の鎮定を期待したものであった。異民族の侵略というよりむしろ漢民族の側からの引き入れが多分にあった。統治能力のない中央政府はもはやあてにできないため、秩序の回復のためには彼らを押し立て支配を委ねたことが述べられる。ただ劉淵は衆望を集めながら即位後ほどなく統一戦争半ばで死んだため、逆に混乱が続くことになった。
 唐王朝も実は南北朝時代の北魏王朝以来、拓跋氏という異民族集団の中から王家(王朝)が持ち回りで排出されてきたものであった。歴代続いた遊牧民王朝の最後を飾ったの唐王朝であった。唐王朝後半、各地の節度使が藩鎮として地方を支配するが、その実態は異民族の支配を追認したものであった。唐王朝は純粋に漢民族王朝と呼べるものではなく、そのイメージは後世の漢人歴史家の史書によって植え付けられたものである。
 本書を通読すると、漢民族や中華という概念がいかに一面的なものであること、そして民族の誇りという概念がいかに後世に潤色されたものであるかを実感させられる。実際は人々が民族の垣根を超えて離合集散を繰り返しながらしたたかに生き残りを図ってきた過程が「歴史」ではなかったかと感じる。それを一面的かつ直線的な価値観で裁断して考え、教えられたところに悲劇が生まれる。
 著者の杉山正明氏はモンゴル帝国史研究の専門家で、それまでの常識を覆す数々の論文・著書を世に問われてきた。著者の該博な知識と大きな視野で、北方の視点から中国を通観した本書は、初版から長い年月が経ってはいるが、改めて中国だけにとどまらず、これからの世界で多民族が共生してゆくための足掛かりにしたいと思える一書である。






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